はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と七十一
「ジュレイセンネン ノ キョジュ ガ」
あまりにもヘビーなテーマに踏み入ってしまったことで疲れ切ったのだろうか、またまたAくん、突然、奥へと姿を消してしまう。
そこで、またまたナンとなく、例の本棚(もどき)を眺めていると、ある、写真集らしき本に目が留まる。
巨樹?
巨大な木がその表紙を飾っている。
徐(オモムロ)に、ペラリペラリとページを捲(メク)ってみる。
うわっ。
も、森だ。
な、なんと、たった一本の木が、森をつくっているのだ。
樹齢千年の、千年以上の巨樹。その、迸(ホトバシ)る「命の力」、素晴らしい、ホントに素晴らしいのである。
んっ、んんっ、んんんっ?
な、なんということだ。
地域の人たちが、「あれ?、少し様子が変だな」と思い始めてから、たった一ヶ月で、その森は消えた、という。
全ての葉が枯れ落ちてしまった無数の枝たちが、四方八方へと、空へと、伸びるその姿は、あまりにも悲しげで、ナニかを求めているようにさえ感じられる。けれど、悲しいかな、人々は、ナニもできず、ただただ見守るだけであった、と、嘆く。
お決まりのように、担当課は、「原因不明」と早々に結論付ける。しかし、多くの人々がそう思うように、おそらく、人間側の都合だけで考えられた、見た目重視の公園整備事業が、その原因だろうと、少なくとも、その原因の一つであろうと、私も、思う。どうしても、そう思わざるを得ない。
トにもカクにもこの事件は、ナニかトテツもなく大切なコトを、私たちに伝えてくれているような気がする。
つまり、大自然の「命」たちを軽んじれば、やがて、必ず、回り回って、そのシッペ返しを我々人類が喰らうことになるのではないか、という、警鐘である。
おっ、おおっ、おおおっ!
な、なんという命の力だ。
幸い、この巨樹は、「ダテに千年以上生きてきたわけではないのですよ」、と、私たちに自慢げに、誇らしげに、語り掛けるようにして、復活の芽を吹き始めたらしい。
よかった、ホントによかった。
これから、気が遠くなるほどの長い年月をかけて、再び森をつくるのであろう。そうあってほしい。そう信じたい。そんな思いを込めて、心からエールを送りたい。
そして、ふと、思う。
では、私たち人類はどうだろう。
シッペ返しを喰らい、死の淵に立たされてしまった時、はたして、この巨樹のように、復活の芽を吹き始めることができるだろうか。
それほどの「命の力」が、私たちにはあるだろうか。
残念ながら、甚だ、疑問だ。
だからこそ、大自然の「命」を、軽んじてはいけないのだ。と、あらためて、強く、肝に銘じておきたいと思う。(つづく)