ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.840

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と七十一

ジュレイセンネン ノ キョジュ ガ」

 あまりにもヘビーなテーマに踏み入ってしまったことで疲れ切ったのだろうか、またまたAくん、突然、奥へと姿を消してしまう。

 そこで、またまたナンとなく、例の本棚(もどき)を眺めていると、ある、写真集らしき本に目が留まる。

 巨樹?

 巨大な木がその表紙を飾っている。

 徐(オモムロ)に、ペラリペラリとページを捲(メク)ってみる。

 うわっ。

 も、森だ。

 な、なんと、たった一本の木が、森をつくっているのだ。

 樹齢千年の、千年以上の巨樹。その、迸(ホトバシ)る「命の力」、素晴らしい、ホントに素晴らしいのである。

 んっ、んんっ、んんんっ?

 な、なんということだ。

 地域の人たちが、「あれ?、少し様子が変だな」と思い始めてから、たった一ヶ月で、その森は消えた、という。

 全ての葉が枯れ落ちてしまった無数の枝たちが、四方八方へと、空へと、伸びるその姿は、あまりにも悲しげで、ナニかを求めているようにさえ感じられる。けれど、悲しいかな、人々は、ナニもできず、ただただ見守るだけであった、と、嘆く。

 お決まりのように、担当課は、「原因不明」と早々に結論付ける。しかし、多くの人々がそう思うように、おそらく、人間側の都合だけで考えられた、見た目重視の公園整備事業が、その原因だろうと、少なくとも、その原因の一つであろうと、私も、思う。どうしても、そう思わざるを得ない。

 トにもカクにもこの事件は、ナニかトテツもなく大切なコトを、私たちに伝えてくれているような気がする。

 つまり、大自然の「命」たちを軽んじれば、やがて、必ず、回り回って、そのシッペ返しを我々人類が喰らうことになるのではないか、という、警鐘である。

 おっ、おおっ、おおおっ!

 な、なんという命の力だ。

 幸い、この巨樹は、「ダテに千年以上生きてきたわけではないのですよ」、と、私たちに自慢げに、誇らしげに、語り掛けるようにして、復活の芽を吹き始めたらしい。

 よかった、ホントによかった。

 これから、気が遠くなるほどの長い年月をかけて、再び森をつくるのであろう。そうあってほしい。そう信じたい。そんな思いを込めて、心からエールを送りたい。

 そして、ふと、思う。

 では、私たち人類はどうだろう。

 シッペ返しを喰らい、死の淵に立たされてしまった時、はたして、この巨樹のように、復活の芽を吹き始めることができるだろうか。

 それほどの「命の力」が、私たちにはあるだろうか。

 残念ながら、甚だ、疑問だ。

 だからこそ、大自然の「命」を、軽んじてはいけないのだ。と、あらためて、強く、肝に銘じておきたいと思う。(つづく)