ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.826

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と五十七

「アイ ノ カクシボウチョウ!」

 さらに、もう一つ、プロ職人さん繋がりの思い出が、あたかも心太(トコロテン)かナニかのごとくムニュッと押し出されるかのように、蘇る。

 予算的に、さすがに正月に、というわけにはいかないのだけれど、毎年年末に、年老いた母親と、私の兄弟やら次世代の面々たちとともに、一流ホテルに泊まる、という恒例のビッグイベントを実施していたのである。

 そんなある年の暮れのこと。

 あるホテルの、あるレストランで、いつものように、皆が席について、出されたカラフルな料理の数々に舌鼓。何気に母親の皿をチェックしてみると、いつもなら、硬いとか、繊維が噛み切れないとか、口の中に残るとか、飲み込めないとか、と、食べられないものが、結構あったりするのだけれど、その皿の上にはナニも残っていなかった。なんと、その夜は、ほぼ完食であったのである。よほどお腹が空いていたのか、美味しかったのか、とにかく、凄い食欲だな~、などと感心したりしていると、実は、母親の料理だけ、一手間も二手間も施されていたようなのだ。

 見た目は、全く、私たちのモノと同じ。たとえば、ヘレ肉のステーキも、どこからどう見ても、ヘレ肉のステーキなのである。

 事前に姉がお願いしていたらしいのだが、それにしても凄まじい技であり、しかも、ハートフルなプロの技であったわけで、感動的ですらあった。

 皆が皆、満足をして、その店を出ようとした時、料理長らしき方が、わざわざ奥から出てきて、私の母に声を掛けてくれた。

 「どうでしたか」

 もちろん、母親は、「全部、美味しくいただけました」、と、上機嫌で答えていた。

 あっ。

 そんな、その夜の、完全に隠れていた愛の隠し包丁を始めとする様々な水面下のプロの技たちに感動した、ということを、胸に納めておくだけにしておけばいいものを、バカみたいに調子に乗って、バカみたいな一句を詠んでしまったことを、今、なぜか思い出して、おもわず赤面する。

 隠し包丁に 母の食欲 膨張

 自由律俳句は自由、自由でいいんだ。とはいうものの、いくらなんでもコレは最悪。なぜ、思い出してしまったのだろう。

 もちろん、目の前で、メンマをアテに淡路島のプチプチをチビチビとやっているAくんに、コレを披露することは、やめておこうと思う。(つづく)