ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.771

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と十二

「タッタヒトリデイイ」

 たとえば、泣く泣く自分の家を手放さなければならなくなったとしよう。祖父が、友人の建築士に頼んで建てた拘(コダワ)りの家である。それなりのお金が必要だということもあるが、そんな、思い入れが強い家であるだけに、安価では売りたくない。その価値を理解してくれる人に、その価値に見合った価格で買ってもらいたい。みたいな、そんな感じで、そんな思いで、家を売りに出さなければならなくなった方って、おそらく、一人や二人じゃないと思う。

 この、家を売る。芸能事務所が新人タレントを売り出すこととは、根本的に違う。なぜなら、たった一人でいいからである。

 たった一人でいい。

 新人タレントがソレでは、事務所は堪(タマ)ったものじゃないだろうけれど、家は、たった一人、気に入ってくれた人がいてくれるだけでいいのである。

 この、「たった一人でいい」。私は、意外な場所で、意外な人から、耳にすることになる。

 京都の、あるお寺。

 そのお坊さんが、静かにこう呟いたのである。

 「たった一人でいいのです」、と。

 まさか、家の売買に向けての心得を説かれているわけではあるまい。

 よくよく聞いてみると、それは、誰も自分を理解してくれなくて、存在意義を認めてくれなくて、その孤独感の中で人生に絶望し、場合によっては自ら命を絶つことさえも、というコトが、後を絶たない現状を憂いての言葉であった。

 「誰でもいいのです。たった一人、自分を理解してくれる人がいるだけで、救われることがあるのです」

 なるほど、なるほどな。

 その時、そのお坊さんの言葉に私は、一人ひとりが、その、誰かにとっての「たった一人」になることができれば、この、重たくて生き辛い世の中の「色」も、もう少し違った色に変わっていくのかもしれないな、などと、漠然と、思ったりしていたのである。(つづく)