ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.768

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九

「ソノバシノギ ノ ジンザイイクセイ」①

 ある時から、そんなコトをしていて大丈夫なのだろうかと、不安が過(ヨギ)りっぱなしの私なのである。

 もちろん、不安が過るコトなど、この国には数多あるわけなのだけれど、ココで私が言うところの不安が過るコトというのは、全くもって、もうどうしようもないような不安が過るコトなのではなくて、国の方針次第ではどうにかなる、というような、そんな不安が過るコトなのだ。

 その、ある時とは。

 少し前、といっても、もう数年は経つけれど、たまたま私は、ある地方の、おそらく、インフラ整備かナニかであろう、ある工事現場と遭遇する。

 テキパキと仕事をされている作業員の方々の動きに、少しの間、見とれていると、東南アジアかドコかの言語が耳に入ってくる。あらためて、一人ひとりに目をやると、おそらく外国から来られたと思われる若き作業員たちの姿が何名か目に入る。

 ピンと張り詰めたような緊張感はあるものの、関係性の構築が、よほど上手くいっているのだろう、和やかなムードがコチラまで緩やかに伝わってくる。

 さすがに、グローバルやらボーダーレスやらといった言葉に懐疑的な私でも、「疑ってばかりじゃ、ダメなのかもしれないな」、などと、少し謙虚に思ったりする。

 けれど、それから暫くして、ある人が発したある言葉に、私は、目の前に、ドンと、捨て置けない現実を叩きつけられたような気がして、せっかくの好感触が一瞬にしてグラグラと動揺する。その、ある時とは、まさに、その時なのである。

 外国人労働者

 というよりは、外国人技能実習生、と、言ったほうがいいかもしれない。

 彼らに、彼女らに、頼る、頼らざるを得ない、という現場の現実が、そのままこの国の未来の現実であり、決して避けては通れない大いなる問題点なのだ、と、その、ある人は、宣うのである。(つづく)