はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と八十一
「ヤサシサ ト キビシサ ト」
「優しさと厳しさ」一つとっても、なかなか理解して頂くことが難しい、と、あるお坊さんが宣っておられたことを、ふと、思い出す。
その時は、別段ナニも思わなかったのだけれど、ずっと心の片隅に引っ掛かったままではいたのである。
優しさと厳しさ。
どうしても、相反する両者に見えがちな、その「優しさと厳しさ」について、Aくんに問うてみる。
「優しさと厳しさとは、一体、ナニモノだと思いますか」
「優しさ、と、厳しさ、とは、ナニモノ?」
「ひょっとしたら、この国の、この星の、進むべき未来のヒントが、ソコにあるような気が」
マ、マズい。
またまたAくん、グビリと一口、喉を潤すや否や、沈黙の旅に出てしまう。
・・・
ナンとなく思う。
あの、パラリンピックとオリンピックのように、決して交わることのないパラレルワールドに身を置く両者だとしたら、どうだろう。
私は、一本の線上に、パラリンピックとオリンピックがあることが、オリンピック憲章に照らしてみても、本来のあるべき姿だと思っている。それと同様に、優しさと厳しさも、一本の線上にあることが、本来のあるべき姿なのでは、などと、ボンヤリと思ったりもする。
すると、ユルリとAくん、その、短めの旅を終えて、無事、帰還する。
「厳しさには」
ん?
「厳しさには『涙』が伴っていなければならない」
「な、涙、ですか」
「そう、涙。ナゼなら、自分本意な、利己的な、そんな感情に支配された厳しさに、涙など、伴うはずがないだろ、って、思うから」
自分本意な、利己的な、感情に、支配された厳しさ、か~。
「優しさ、も、厳しさ、も、優しさ、なのだ、と、僕は思いたい。場合によっては、優しさ、よりも、厳しさ、が、ウンと必要になってくることもあるかもしれないけれど、でもね、優しさ、よりも、ウンと優しさに満ち溢れた厳しさ、で、なければ、全くもって話にならない、と、ずっと、ずっと思い続けている」
そうボソボソと、それでいて力強く語り続けるAくんに、一切の迷いなく、私は、清き一票を投じたい。(つづく)