ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.740

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と八十一

「ヤサシサ ト キビシサ ト」

 「優しさと厳しさ」一つとっても、なかなか理解して頂くことが難しい、と、あるお坊さんが宣っておられたことを、ふと、思い出す。

 その時は、別段ナニも思わなかったのだけれど、ずっと心の片隅に引っ掛かったままではいたのである。

 優しさと厳しさ。

 どうしても、相反する両者に見えがちな、その「優しさと厳しさ」について、Aくんに問うてみる。

 「優しさと厳しさとは、一体、ナニモノだと思いますか」

 「優しさ、と、厳しさ、とは、ナニモノ?」

 「ひょっとしたら、この国の、この星の、進むべき未来のヒントが、ソコにあるような気が」

 マ、マズい。

 またまたAくん、グビリと一口、喉を潤すや否や、沈黙の旅に出てしまう。

 ・・・

 ナンとなく思う。

 あの、パラリンピックとオリンピックのように、決して交わることのないパラレルワールドに身を置く両者だとしたら、どうだろう。

 私は、一本の線上に、パラリンピックとオリンピックがあることが、オリンピック憲章に照らしてみても、本来のあるべき姿だと思っている。それと同様に、優しさと厳しさも、一本の線上にあることが、本来のあるべき姿なのでは、などと、ボンヤリと思ったりもする。

 すると、ユルリとAくん、その、短めの旅を終えて、無事、帰還する。

 「厳しさには」

 ん?

 「厳しさには『涙』が伴っていなければならない」

 「な、涙、ですか」

 「そう、涙。ナゼなら、自分本意な、利己的な、そんな感情に支配された厳しさに、涙など、伴うはずがないだろ、って、思うから」

 自分本意な、利己的な、感情に、支配された厳しさ、か~。

 「優しさ、も、厳しさ、も、優しさ、なのだ、と、僕は思いたい。場合によっては、優しさ、よりも、厳しさ、が、ウンと必要になってくることもあるかもしれないけれど、でもね、優しさ、よりも、ウンと優しさに満ち溢れた厳しさ、で、なければ、全くもって話にならない、と、ずっと、ずっと思い続けている」

 そうボソボソと、それでいて力強く語り続けるAくんに、一切の迷いなく、私は、清き一票を投じたい。(つづく)