ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.691

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と三十二

「ムリガトオレバ ドウリヒッコム」①

 まだまだ未解決なモノで溢れかえっているとしても、時が経ち、時が来れば、ヘラヘラと、「シャンシャン」とお開き、などということが罷(マカ)り通るとするならば、コレほど楽なコトはない。仮に、そんな、罷り通るような職業が、職種が、あるとするならば、おそらく、子どもたちが将来就きたい職業の上位に、間違いなくランキングされるだろう、と、語り続けるAくんのその表情から、滲み出た憤りがタラリタラリと垂れていくのが見て取れる。

 かねてからAくんは、道理あってこそのこの社会、この国、この星、だと、言い続けている。

 では、その道理とは、一体、ナンなのだろう。

 ひょっとしたら、その、道理というヤツは、あの、宗教といヤツさえも、軽くピョンと飛び越えてしまうほどの、人類共通の真理の道を意味しているのかもしれない、などと思えてきたりもする。

 しかしながら、そんな「道理」にも天敵がいる、と、Aくんは宣う。

 天敵?

 道理の天敵とは、一体、ナンなのだろう。

 「道理の天敵とは、ナンなのですか」

 するとAくん、ユルリと答えてみせる。

 「ソイツが、無理」

 無理?

 道理の天敵が、無理とは、・・・一体。

 「む、無理、ですか」

 「そう、無理。無理の強みは、そもそもが『無』だということ。『無』は、どこまでも『無』なのであって、それ以上でもそれ以下でもない。絶対的な『無』の前では、『道』も『理』も成すスベなし、ということなのだろうな」

 無理が通れば道理引っ込む。

 コレのことか。

 コレのことだな。

 きっとそうだ。コレほど、「道理」と「無理」との関係性を端的に表した諺(コトワザ)は、他にはないと思う。(つづく)