はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と二十八
「キヲテラウ?」①
コレだろ、コレしかないだろ、と、「面白い人」論のその上に、被せるようにして、Aくん、
ピンチをチャンスに変えるには、発想の転換こそが大いなる武器となる、と、語気を強める。
その通りだと思う。ソコにパワーすら感じる。
ただ、発想の転換、に、よく似た言葉である、あの、「奇を衒(テラ)う」、には、かなり以前から違和感も怪しさも危うさも感じている。
「ヤヤもすると、発想の転換が、奇を衒う、に、身をもち崩す、ということはないですか」
「奇を衒う、に、身をもち崩す?」
「言葉尻を捉えて、負のイメージしかもてなくなっているだけなのかもしれませんが、私は、奇を衒うに、発想の転換ほどの重みを感じないのです」
「重み、ね~。それって、もちろん誉め言葉だよね」
「もちろんです。それに引き換え、奇を衒うには、軽さ、薄さ、が、どうしても付きまとう」
「つまり、奇を衒う、は、上っ面(ウワッツラ)、だと」
上っ面?、上っ面、そう、上っ面。その言葉が、最もピッタリとくるかもしれない。
「君が危惧するように、たとえば、権力を握るシモジモじゃないエライ人たちが、発想の転換を、奇を衒う、としか考えられなかったとしたら、そして、これからも、そうであるとするならば、ちょっと危ないことになるかもしれないな~」
(つづく)