ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.673

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と十四

「サイバン サイアクバン サイゼンバン」①

 やむなし、致し方なし、の、その三本の指に間違いなく入る、と、思っているモノの中に、「裁判」がある、と、Aくん。と、言いたいところだけれど、コレは、Aくんではなく私、私が思っていること。人が人を裁く、というコトに、なぜか、高校生あたりからずっと疑問をもち続けているのだ、私は。

 なぜこんな疑問を、長きにわたってもち続けているのか。

 おそらく、おそらく私は、裁判でのジャッジが、ジャッジする人によって、あまりにコロコロと変わったりするものだから、裁判なるものに、一種の不信感のようなものを抱いてしまっている、のだと思う。

 「裁判、って、ナンだと思いますか」

 「裁判、ね~。・・・、あまりいい印象はもち合わせていないな。でも、致し方ないかな、という思いもないわけじゃない」

 そう、その通り、致し方ない、致し方ないと、私も思う。でも、刑事事件のようなものではなく、国が絡むような訴訟系の裁判ともなると、そう簡単には、致し方ない、では、済まされない、済ましてはいけない、と、どうしても思ってしまうのである。(つづく)