はしご酒(Aくんのアトリエ) その六十
「ダイアログ!」
ある知人が、この国のディスカッションは、ドコからドウ見ても相手をディスるだけのディスルカッションだな、と、実に上手く言ってのけていたことを思い出す。
相手の弱味を突いて、打ち負かす。
相手を自分の、支配下に置く。
まさに、相手をディスるディスルカッション。言い当てて妙、お見事である。
とくに、国会などでも見受けられる、あの、言葉のキャッチボールが極めて苦手なシモジモじゃないエライ人たちの、その、ディスカッション下手もまた特筆モノで、申し訳ないが、この際、潔く、速やかに、公の場からお引き取りを願いたい、とさえ思ってしまう。
とはいえ、もちろん、そういったコトは、エライ人たちに限ったコトではない。そもそも、この国のピーポーたちは、ほとんど、ディスカッション下手なのである。そういうことからか、たとえば、弁護士のように理詰めで相手を打ち負かす、というような、そんな、まさに力尽くの臭いが、どうしても、そこかしこでプンプンと立ち込め、がちだ。
となると、そんな、ディスルカッションなディスカッションではなく、むしろ、相手の気持ちを、考えを、まずは一旦、深く噛み締めてみるところから始める「ダイアログ(dialoge)」こそが必要なのではないか、と、思えてくる。
ダイアログ。・・・
対話。そう、対話。そうした対話が、ナニを大切にしているのか、ドコを目指しているのか、その辺りが、我々の身の回りでよく見掛けるディスカッションとは、ナニかが、ドコかが、全くもって違うように思えてならないのである。
相手をディスるディスルカッションなディスカッション。ソコからの、もう一つの対話の有りようであるダイアログ。そんなダイアログを、アレやコレやと漠然と考えたりしているうちに、当時、友人のお気に入りであった、アメリカのブラスロックバンド、Chicago、の、♪dialogeという曲のことを、突然、思い出す。
ギターのカッティング奏法が、メチャクチャ気持ちいいイントロのあとの、テリー・キャスとピーター・セテラの、ダイアログにしては少々ハードな興味深い掛け合いが、純粋無垢な若いハートには、充分に刺激的で、ビリビリ感満載であったのである。(つづく)