ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.610

はしご酒(Aくんのアトリエ) その五十一

「オドル デキレースクイーン

 この国に、この星に、ネチャネチャと漂う粘っこい垢(アカ)を、その上辺ばかりに囚われて、とりあえず、その場しのぎの清掃やら薬物による消毒やらで、表向きの体裁だけは整えようと躍起になる、というふうにしか見えない、ってこと、ないかい?、とAくん。

 「たとえば、差別の、その根っこの部分にメスを入れることなく捨て置いて、上っ面(ツラ)だけを見栄え良くする、という邪道を、時折、目にすることはありますが」、と私。

 たとえ、上っ面と言われようが言われまいが、まずは見えるところから取り組むべき、という考え方も、理解できないわけではない。しかしながら、やはり、それは、誤魔化し以外のナニものでもない、と、私には思えてならないのである。

 「あまりいい例えじゃないかもしれないけれど、と、断った上でAくんは、力強く光輝くレースクイーンも、一つ間違えると、ナニか得体の知れない大きな力によって事前に仕立て上げられた出来レースに乗っかる、デキレースクイーン、に、なんてことになりかねないのではないか、と、危惧しているわけよ、僕は」

 突拍子もなく見えるその例えのその揚げ足を、取るつもりはないけれど、少し引っ掛ってしまう。

 「でも、デキレースクイーンは、大抵は、好き嫌いは別にして、圧倒的な弱者であるわけでしょ。そんな弱者である彼女たちを、自らの意思で踊るデキレースクイーンであるかのような例えは、やっぱり良くないと思いますが」

 「ん~、・・・そうだな、その通りだ。踊る、踊らされる、ではなく、その背後でほくそ笑む、踊らせる、の、その、胡散臭い怪しげな力にこそ元凶があるわけだから。あまり、いい例えじゃないかと思った理由は、まさにソコにあったんだな」

 ヤヤもすると、様々な場面において、批判の矛先が、圧倒的な弱者であったり、被害者であったり、に、向かいがちなこの世の中であるだけに、もう少し深く、冷静に考えてみる必要がありそうだ。(つづく)