ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.602

はしご酒(Aくんのアトリエ) その四十三

「グルグルマキ ノ フヨウフキュウ」②

 「じゃ、なんと表現すれば良いのですか」、と、少し意地悪く問うてみる。

 「使うタイミングさえ間違えなければ、それはそれでいい場合もあるのかな、とは思うけれど、あえて別の言葉を使わせてもらうとするならば、・・・」

 「するならば?」

 ググッと身を乗り出す私の、その全聴覚が、ギュギュッとAくんの口元あたりに集中する。

 「・・・、欲しがりません、勝つまでは」

 「な、なんですか、それ」

 「あの戦争の最中(サナカ)に、国民の戦意昂揚(コウヨウ)のためにつくられた標語だな。どうだい、コレなんて」

 「ダメでしょ」

 「その標語が生まれた背景を消し去って、独立したものとして捉えれば、少なくとも不要不急よりは、まどろっこしくなくて、わかりやすい」、と、妙に強気なAくん。

 「そんな簡単には、その背景を、消し去ることなんてできないでしょ」、と、そう易々と引き下がるわけにはいかない感、を、躊躇なく、思いっきり漂わす私。

 「だけれども、だ。それは絶対に大切だろ、と、思われるものでさえ、深いところまで考えることをせずに、サラリと、不要などと宣ってしまうものだから、多くの人たちが、傷ついたり、自暴自棄に陥ったり、憤りを覚えたりするわけだろ。だから、むしろ、トンでもないことが炙り出した、この世の中のその荒れた闇に打ち勝つまでは、我慢します、欲しがりません、というコチラのほうが、少しはマシかと思ったのだけれど、・・・やっぱり、ダメか~」

 偉そうに、「ダメでしょ」などと言ってはみたものの、Aくんのその思いを聞いているうちに、ソレもアリかも、とも思えてくる。

 仮に、本当に、本当に大切なものであったとしても、今は、今だけは辛抱してもらいたい、ということであるのならば、イヤと、イヤというほど懇切丁寧な説明が、トコトン必要だということなのだろう。

 となると、あの、気持ち悪いほど増殖傾向にある、一切説明しないことを美徳とする「イッサイセツメイシマセンセイ」たちの、その撲滅に、まずは国策として取り組んでいかなければならないな。(つづく)