はしご酒(Aくんのアトリエ) その三十ニ
「リソウヲ ツイキュウシテ ナニガワルインジャー」②
「今でも」
「ん?」
「今でも、そんなことをされているのかどうかは知りませんが、以前、小学校、だったか、その授業で、子どもたちに、株式投資をゲーム感覚で取り組ませているニュースを目にしたあたりから、私は、教育が、本来、大切にしなければならないナニかを、目指さなければならないナニかを、見失い始めているのでは、という思いをもち続けているのです」、と、どうにか呼び起こせたナニかを、オブラートに包んだりすることなく、そのまま宣ってみる。
「あ~、あれね。あんなこと、今でもやっているのかな。どうなんだろう」、とAくん。
「現代社会に潜む歪(ユガ)みに、ナゼなんだろう、ドコに問題が隠れているのだろう、ドウしていくことが、この国にとって、この星にとって、そして、未来にとって、いいことなのだろう、と、アレやコレやと考える、その力を、育む、身に付ける、このことこそが、そして、そのことを、発達段階に合わせて、ときには面白おかしく、わかりやすく、授業の中で展開していくことこそが、学校教育の肝(キモ)だと思っているだけに、安易に、授業で、あたかもマネーゲームを賞賛するかのように、ゲーム感覚で株式投資、などということが、どうしても理解できないのです」、と、かなり熱くなりつつ饒舌(じょうぜつ)に、私。
「むしろ、たとえば、現代の、株式投資のメカニズムのその闇に、メスを入れることのほうが大事だろ、と、僕も思うけれど、なんなんだろうな、あの、シモジモじゃないエライ人たちの教育に対する感覚は。まさに、大阪弁で言うところの、ケッタイやな~、ってヤツだな」
本当にそうだ。
ケッタイ。
珍妙。
そういえば、あの、Oosacan (大阪人)なOくんが、よく、「お上からのお達しなんちゅうもんは、そのほとんどが、ケッタイやっちゅうことですわ」、と、諦めモードまみれに愚痴っていた。今、そのことを思い出す。
「だから、やっぱり、たとえ、世間知らずの青二才の戯言(タワゴト)と、ドンと烙印を押されようとも、学校教育に携わる者は、求めなければならない理想を見失うことなく、とにかく追求し続ける、そんな教育界のスーパーヒーロー、リソウヲツイキュウシテ ナニガワルインジヤー、を、ナニがナンでも目指してほしいのです」
(つづく)