ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.574

はしご酒(Aくんのアトリエ) その十五

「イチャモンナンテモンハ ナンボデモツケラレマッセ」②

 するとAくん、ようやく思い出せたのか、「あ~、あのときね」、と。

 批判する、と、いちゃもんをつける、との、その違いについて、論戦を繰り広げているうちに、三人とも少し熱くなってきた、そのときの、彼の、「いちゃもんなんてもんは、つけようと思たら、正義の名の下、なんぼでもつけられまっせ~」だった、と、振り返る。

 そしてAくん、「たしか、彼が言うには、いちゃもんは、いちゃもんをつける、そのこと自体が目的となってしまっているわけで、そのもう一方の、真実を求めて、筋道を立てて論破することを信条とするところの、批判する、とは、ナニからナニまで丸ごと違う、といったようなことであったかな」、と、続ける。

 そうだ、そうだった。スッカリ靄(モヤ)がかかっていた、あのときのあの話の流れが、いま再び、どうにかやっと見えてきた。

 Oくんは、大阪弁で、ガンガンと捲(マク)し立て、押しまくってくるので、大阪弁に慣れていないと、なんだかハチャメチャに聞こえてくるのだけれど、なかなかどうして、なるほど、と、納得させられることが多い。表面的な肌触りや雰囲気で、ヒトやらモノゴトやらを判断してはいけない、という好例だ。

 そしてAくん、「そうした、いちゃもん、が、随分と幅を利かせてきたよな~」、と、ボソリ。

 Aくんの危惧と同様に、この私も、いま流行りの論点の掏(ス)り替えも、心を蝕(ムシバ)む差別的な言動も、息の根を止める高圧的な罵倒も、そのほとんどは、ひょっとしたら、この「いちゃもん」の恐るべき悪しき進化形、の、ように、グイグイと思えてくる。(つづく)