ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.561

はしご酒(Aくんのアトリエ) その弐

「オイノチ イタダキマス」

 「美味しい!、ホントに美味しいですね、これ」、と私。

 どれどれ、と、Aくんも箸を伸ばす。

 「おお~!、まっこと、出汁が命のだし巻き卵、ジュワッとくるよね~」

 女将さんの、どこまでも屈託のない、ふくよかな笑顔、が、このだし巻き卵のごとくフワンと甦る。きっと、Aくんの頭の中でも、女将さんの、あの笑顔が、フワンフワンと漂っているに違いない。

 などと、勝手に思ったりしていると、Aくん、「いただきます、は、お命、いただきます。だから、感謝しながら食べないとダメよ~、残しちゃダメよ~、などと、おふくろさんに、よく言われたよ」、と。

 そういえば、命に感謝しながらいただく、というこの感じ、他の国では、ありそうで、ない、と、聞いたことがある。

 「しかしながら」

 「しかしながら?」

 「しかしながら、こうした、他の命によって、自分の命が生かされる、という、この国の、この、ものの考え方は、時の流れとともに薄れていっているような気が、してならないんだよな~、僕は」、とAくん。

 さらに厄介なのは、そのことが、食べものは、あたかも工場かドコかで、機械的に、工業製品かナニかのように大量生産されるモノ、という、そんな歪んだ意識を、いつのまにか人々の心の中に植え付けてしまっているんじゃないか、ということ。それゆえに、ソコに、命が宿っている、などと、考えること自体、もうすでに難しくなっているのでは、と、重く言い添える。

 私自身も、尋常ではないほどの量の食品ロスを、ニュースなどで耳にするにつけ、食べものが、単なる「もの」に、なりつつあるような気がしている。

 するとAくん、放ったらかし熟成のその酒で満たされた酒器を、口の真ん前まで運ぶと、「お命、いただきます。なんだか、必殺仕置人、仕事人、みたいだけれど、この感じ、この感覚、守っていくべき、この国の、大切なアイデンティティの一つだと、思うんだけどな~」、と、静かに語ったそのあとで、もう一度、「お命、いただきます」、と、力強く繰り返し、そして、実に美味しそうに、グビリとやる。(つづく)