ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.557

はしご酒(4軒目) その百と百と九十八

「カチマケシンドローム ノ ヒゲキ」

 モノゴトを、ジンセイを、勝ち負けでしか見られなくなる、考えられなくなることの悲劇を、悲劇として捉えられなくなってしまった悲劇の人たちがいる、とAくん。

 「凄まじいまでの悲劇まみれ、ですね」、と私。

 「言い換えるならば、悲劇を悲劇として捉えられているうちは、受け止められているうちは、まだいい、ということだな」、とAくん。

 そういった人たちは、負けを認めることが、そのまま、自分自身を全否定することに、されることに、繋がる、とでも、・・・さらには、自分の存在の意義さえなくなる、とでも、思っているのだろうか。だから、それゆえに、絶対に負けるわけにはいかない、と。

 「それって、やはり、とてつもなく悲劇ですよね」

 「そうだな。しかも、罪深い。その舞台が、裁判所みたいなところであるのなら、まだ理解はできるけれど、それが、たとえば、この国の、未来に直結するような論戦の場でなければならない国会のようなところで、どこまでも己本意の、そんな勝ち負けばかりに囚われているとなると、それはやはり、滅法、罪深い」

 そうしたこともまた、先ほどから話題の、「真っ当な論戦が繰り広げられない」ことの、その大きな要因の一つとなっているのかもしれない。

 そして、Aくんのその熱き持論は、この星の、この今の、病んだ闇にまで及ぶ。

 「さらに、悲劇なのは、そうしたカチマケシンドロームにドップリと浸り切った人たちは、大きな権力を握れば握るほど悲劇の分断を呼ぶ、ということだ」

 なるほど、この星の、この世の中の、そこかしこを、見渡して見ると、そうした悲劇の分断のその背後には、カチマケシンドロームにドップリと浸り切ったカチマケシンドローマーたちが、怪しく蠢(ウゴメ)いているような気が、たしかに、する。(つづく)