ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.533

はしご酒(4軒目) その百と百と七十四

「ミカンノビ ト ウソイツワリ」

 永遠に完成することがないかもしれない未完の「美」というものがある、とAくん。

 そのもう一方で、最初から、スミからスミまで完璧に仕上がっている、スキのない「美」というものがある。その、完璧ゆえの気持ち良さみたいなものも、充分に理解はできる。でもね、流れゆく時(トキ)の中で、厳しく、丁寧に、その未完なるものを見つめ、更に良いものにしようと、嘘偽りのない切磋琢磨を積み上げていく人たちの姿が、寄り添うように、常にソコにあるがゆえに、未完の美は、一層美しい、と、熱く語り続けるAくんの、その瞳もまた、負けず劣らず美しく、輝いているように見える。

 「その未完の美、論。なんとなく、わかるような気がします。ただ、良いものにしようとするときの、その嘘偽りのない切磋琢磨、本当に、嘘偽りがないまま、あり続けることができるのか、という疑念めいたものが、私の中にあります。そして、その疑念は、そう簡単には払拭できそうにない」、と私。

 「う~ん、・・・なるほど、ソコが肝(キモ)なのかもしれないな。より良く、などという言葉を、いとも簡単に宣うピーポーに限って、結構、嘘偽りだらけだったりするからな~」、とAくん。

 コソコソと、嘘偽りまみれのあの手この手で、都合のいいものに仕立て上げようとする、そうした邪念が、いつの時代も、未完なるもののその近くをウロウロとしている、ということなのだろう。

 ナニかを、より、良いものに変えようとするとき、その近くをウロウロと徘徊する、とくに、権力を握るシモジモじゃないエライ人たちが、ウマい話ばかりをペラペラと焦りぎみに喋り始めたら、とりあえずは要注意。このことだけは、忘れないようにしておこう。(つづく)