ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.509

はしご酒(4軒目) その百と百と五十

「ニュースバラエティバングミ ノ コウザイ」②

 「でもね、そうそういいことばかりじゃない、というところもまた、迷える現代社会の落とし穴、な、わけよ」、とAくん。

 「落とし穴、ですか」、と私。

 「そう。この落とし穴が、なかなかの、クセモノなんだ」

 なぜ、クセモノなのか。

 「皆が関心をもてるようになったのだから、少々のことはヨシ、ということにはならないのですか」

 「なりそうなんだけれど、ならないな。なぜなら、どうもがいても、あがいても、ソコには、その背後には、強者と弱者との力関係が、必ず存在し、ソコからポコンと生まれた圧力に抗うことなど、そう簡単に、できるはずもなく、その中で、弱者は、忖度(ソンタク)の道を突き進む。そして、なんとなく自由奔放に聞こえる、忖度されたコメントに、視聴者は振り回される、という構図だ」

 実にAくんらしい、かなりの極端さではあるものの、ソコに強者の強い意向が働くことは、当然の如く、必然である、と、私自身も思っているし、そのことが、コメンテーターたちに、結構な圧力を与えているのでは、という懸念も、かなり以前から抱いてはいる。

 昔、あるアナウンサーが、このようなことを述べていたことを、思い出す。

 「ソコに感情を入れることなく、淡々と、粛々と、ニュースを読み、伝え、客観的な解説を添える。私は、そのことに徹するよう心掛けている。ソコからの判断は、賢明な視聴者である皆さんに委ねたい」

 すこぶる真っ当な考え方だと思う。

 しかしながら、そうした、すこぶる真っ当な考え方であるがゆえに、正統派なニュース番組が、一般ピーポーの関心から、ズリズリと離れていくこととあいなってしまったことは、皮肉と言えば皮肉、と、言えなくもないか。

 ・・・、いや、いやいや、それでもやはり、ダレがナンと言おうと、真っ当なものは、真っ当なので、ある。(つづく)