はしご酒(4軒目) その百と百と二十五
「メオトゼンザイ ゼンザイドウジ!」
私の守護仏、不動明王、の、その脇士である、愛しき矜羯羅童子(コンガラドウジ)に、迫る勢いの善財童子(ゼンザイドウジ)。とくに、奈良の安倍文殊院のソレは、究極の善財童子、と言い切っても、おそらく、異議を唱える方は、おられないのではないか、と、思われるほどの素晴らしさを放っている。
「善財童子って、澱む煩悩の中で、心、迷い、彷徨(サマヨ)う、修行僧みたいな、そんなイメージだけど」、とAくん。
「そうなんです。だから、ひたすら聞くんです。聞き続けるんです。そして、一歩一歩、煩悩から抜け出そうとする」、と私。
「あ~、思い出した。それも、必ずしも、シモジモじゃないエライ人たちの、というわけじゃないんだよね、たしか」
「そう、そうなんです。まさに、いろいろな立場の人たち、と言える、そんな人たちの言葉に、耳を傾ける」
するとAくん、少しばかり自信ありげに、結論付ける。
「なるほど、お互いに相手が言うことに耳を傾けなさい、ソレこそが、夫婦円満の秘訣、という、ソコからの、メオトゼンザイ(夫婦善哉)、ゼンザイドウジ(善財童子)、という、仏法の教え、だな、コレは」
Aくんには申し訳ないけれど、それは、違うと思う。(つづく)