ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.484

はしご酒(4軒目) その百と百と二十五

「メオトゼンザイ ゼンザイドウジ!」

 私の守護仏、不動明王、の、その脇士である、愛しき矜羯羅童子(コンガラドウジ)に、迫る勢いの善財童子(ゼンザイドウジ)。とくに、奈良の安倍文殊院のソレは、究極の善財童子、と言い切っても、おそらく、異議を唱える方は、おられないのではないか、と、思われるほどの素晴らしさを放っている。

 「善財童子って、澱む煩悩の中で、心、迷い、彷徨(サマヨ)う、修行僧みたいな、そんなイメージだけど」、とAくん。

 「そうなんです。だから、ひたすら聞くんです。聞き続けるんです。そして、一歩一歩、煩悩から抜け出そうとする」、と私。

 「あ~、思い出した。それも、必ずしも、シモジモじゃないエライ人たちの、というわけじゃないんだよね、たしか」

 「そう、そうなんです。まさに、いろいろな立場の人たち、と言える、そんな人たちの言葉に、耳を傾ける」

 するとAくん、少しばかり自信ありげに、結論付ける。

 「なるほど、お互いに相手が言うことに耳を傾けなさい、ソレこそが、夫婦円満の秘訣、という、ソコからの、メオトゼンザイ(夫婦善哉)、ゼンザイドウジ(善財童子)、という、仏法の教え、だな、コレは」

 Aくんには申し訳ないけれど、それは、違うと思う。(つづく)