ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.477

はしご酒(4軒目) その百と百と十八

「バッドニュース シンドローム

 終わりの見えない、目一杯重苦しいバッドニュースを、来る日も来る日も耳に、目に、していると、知らず知らずのうちに、どんなものでもいいから、確証なんて得られなくてもいいから、とにかく、グッドなニュースを渇望してしまう、という「バッドニュースシンドローム」。そのバッドぶりが際立っていれば際立っているほど、その症状もまた際立ってくる、と、警鐘を鳴らずAくん。

 「良くないニュースが続けば、良いニュースに飛び付きたくなる、というのは、自然のことのような気がしますけど」、と私。

 そりゃそうだ、と、だから素人は困るんだ、とが、入り交じったような、そんな表情でAくんは、実に丁寧に、ソコに潜む問題点について、ユルリと語り始める。

 「それが、シモジモである一般ピーポーなのであれば、好きなように渇望でもナンでもしてもらって、一向に構わない、と思う。そのことで、少しでも絶望的な気持ちが和らぐなら、それもまた良し、ということなんだろう。でもね、・・・」

 ここで小休止。女将さんお手製の自然薯(ジネンジョ)のぬか漬けを一切れ、口に放り込む。

 「絶妙な酸味と食感、旨いな、コレ」、と、唸りながら一献傾ける。

 満足、ココに極まれり、まさに、そんな表情のAくんである。

 そして、いよいよ、その核心をつく後半戦に入る。

 「でもね、シモジモじゃないエライ人たちが、となると、随分と話は違ってくる。影響力が強力な権力者は、そんな簡単に、安易に、グッドニュースに飛び付くべきではない」

 わからないわけではない。

 とくに、人々の健康面に大きく関わるようなコト。たとえば、コレが効果がある、とか、コレができた、とか、といった、そんなコトのアレやコレやに、大人の事情やら、お金の臭いやらまで絡ませて、たいした確証を得ることもないまま、自信満々にグッドニュースに身を投じる、などということがあるとするなら、たしかに、恐ろしいことのように思える。

 「シモジモである一般ピーポーたちの中に潜む、どうしても性急に、グッドなニュースを求めてしまいがちなバッドニュースシンドローム。ソコのところを冷静に、急(セ)いてはコトを仕損じる、と、優しくソッと戒めてあげるのが、本当は、権力を握るシモジモじゃないエライ人たちの、使命、だと、思うのだけれど・・・・・・」

 そんな、細やかなる期待感が、力なくフェードアウトしていくように、Aくんの声も、次第に、私の耳にまで届かなくなる。(つづく)