ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.476

はしご酒(4軒目) その百と百と十七

「ヤルコト ノ シンドサ ト ヤレナイコト ノ シンドサ ト」

 たいした天敵もおらず、まあまあ無風で、温暖で、そこそこに平和な、なんとなく「やる」ことができる環境の中では、どうしても、やることのしんどさばかりが際立つ「やることのしんどさ地獄」に転げ落ちがちだ、とAくん。

 「そんな地獄があるんですか」

 「あるある、大ありだ」

 「それは、やれることが当たり前、の世界では、いつだって、地獄への落とし穴が、ポッカリと大きな口を開けている、ということですか」

 「開けている開けている、ポッカリとね、大開けだ」

 たしかに、これまでの自分自身を振り返ってみても、なるほどな、と、思えてはくる。

 その気になれば、やれるチャンスは、それなりにある。そこに胡座(アグラ)をかいた、この、なんとなく、それなりに、ある、という、この重みのない感覚が、結局は、やることのしんどさを引き寄せて、その重みで、自ら、やれなくしていく、という、だけのことなのかもしれない。

 「でもね、そんなものより、もっと、圧倒的にしんどい、しんどさ、というものがある」

 「そんなものがあるんですか」

 「ある。恐ろしくなるほど、ある。それが、やれないことのしんどさ。やりたいことは山のようにあるのに、その気持ちも海のように大きいのに、やれない、という、その、しんどさ、が、その、地獄が、この星のいたるところにはあるんだ、ということを、僕たちは忘れるべきじゃない。そうは思わないかい」

 思います、とても思います。

 でも、なぜか、どうしても口に出せない。

 それは、おそらく、そんな簡単に、そんなに軽々しく、口に出してしまうことも憚(ハバカ)れてしまうほど、この星には、「やれないことのしんどさ地獄」の中で、絶望し、悲しみ、苦しみ、もがいている一般ピーポーたちが、山のようにいるに違いない、という思いが、私の頭の中で、いまにも溢れ返るほどブクブクと、湧き上がってきたから、だと思う。(つづく)