はしご酒(4軒目) その百と二十一
「カクゴノナイ ノウテンキ」
楽観主義も能天気も悪くはない。場合によっては、むしろ推奨したいぐらいだ、とAくん。
ただし、覚悟のない、覚悟を伴わない楽観主義や能天気は、トコトン罪深い、と激しく言い添える。
「覚悟のない能天気ですか」
「楽観主義も能天気も、ソコに覚悟がなければ、必ずと言っていいほど、結局はジタバタと騒々しくなる」
おそらく、このことは、想像力のない人は騒々しい、というAくんのあの持論にも繋がるのだろう。
考えてみると、覚悟のある、覚悟を伴う楽観主義や能天気は、私が秘かにめざしている境地の一つである「達観」に、限りなく近いような気もする。
私は、達観の決め手は、心の強さと柔らかさと、その大きさと、というスペッシャルなトリオの、ゴージャスな合わせ技一本!、だと思っている。それゆえに、この道を極めることは至難の技なのだ。けれど、それぐらいの境地に身を置かないと、「やってられないぜ」、と、おもわず思ってしまうほどの、そんな激動の時代が、もうソコまで来ている、かもしれない。(つづく)