ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.289

はしご酒(4軒目) その四十

「コウキン ヲ ツカッテ ソウイウコト ヲ サレルッテ イカガナモノカシラ」

 かねてからAくんは、現代アートも、お笑いも、時の権力とは距離を置くことが望ましい、と、訴え続けている。おそらく、そこにあるべきではない「忖度」が働いてしまう、表現そのものが萎んでしまう、その可能性があることへの警鐘を鳴らしている、のだろう、と、私は思っている。

 しかしながら、圧倒的に弱い立場である現代アートも、お笑いも、大きなものに反旗を翻すことなど、ホントにできるのだろうか、とも、私は思っているのである。

 そんなとき、ある行政が関わった現代アートの展覧会に、表現の自由を巡って、ちょっとした風が吹きまくる。

 「税金を投入した展覧会、って、どう思いますか」、と私。

 「税金は、いわゆる権力そのものじゃないから、全否定はしないけれど」、とAくん。

 Aくんにしては、いつになく歯切れが悪い。

 ただ、ある一般ピーポーのコメントが、引っ掛かったままだ、と言う。

 公金を使って、そういうことをされるって、いかがなものかしら

 税金を投入しているのだから、国民の同意が得られる表現に、限定するべきである、ということなのだろうか。

 「税金を投入しているのだから、その表現を快く思っていない一般納税ピーポーの気持ちに対して、充分な配慮がなされた表現をしなければいけない、って、ことなんですかね~」、と、少々呆れ気味に、私の思いを投げかけてみる。

 「賛否両論がある表現、に対しては、世間は随分と厳しい。でも、そのわりに、賛否両論がある政策、に対しては、世間は妙に寛大な気が、するのは、僕だけ、かな」

 Aくんが独り言のように吐き捨てたその言葉を聞くにつけ、結局は、弱いものイジメ、と、長いものには巻かれろ、との、渾然一体型のこの社会を、象徴しているってことなのかもしれないな、などと、思ったりしているうちに、またまた心の中が重たくなってしまい、慌てて、奈良の上澄みを一口、やる。(つづく)