はしご酒(4軒目) その三十五
「タタキアゲ ノ ビガク」
「叩き上げ」、この言葉のもつ力は、僕はかなり大きいと思う、とAくん。
どの業界でも、現場で一から叩き込まれた職人気質の匠たちは、やはり力強い、と私も思う。
ところが、Aくんによると、教育現場では、酸いも甘いも苦いも辛いも知り尽くしているからこその、その叩き上げたちの強み、が、むしろ仇となる、ということもある、ようで、ホントにタイヘンなナゾがナゾ呼ぶナゾナゾワールドなのだな~、と、あらためて思ったりする。
「それって、どういうことなんですか」、と、少々訝(イブカ)るように私。
「ん~・・・、たとえば校長、現場の酸いも甘いも苦いも辛いも、を、知り尽くした校長なんて、その上からしてみれば、使いにくいったらありゃしない、ってこと、かな」、とAくん。
「上が使いにくい?、ナニがドコがダメなんですか。子どもたちの気持ちも、保護者の気持ちも、先生の気持ちも、痛いほどわかるわけだから、いいことじゃないですか」、と、知らず知らずのうちにボリュームまで上がってしまう私。
「そこだよ、そこ。そんな一人ひとりの気持ちを、痛いほど理解できる校長なんて、おそらく、上に対して、モノ申す、に決まっているし、上の思い通りに動いてくれない、に違いない」、と、「上」のお抱え弁護団みたいなもの言いをするAくんに、ナニやら腹が立ち始める。
「だから、ヨソの業界から安易に校長を迎え入れたり、現場で叩き上げられる前の若輩者が校長に、などという愚かなことがまかり通る、わけだ」、と、ようやくAくんらしいノリになってきてホッとする。
いま一度、叩き上げの力強さ、頑(カタク)なさ、優しさ、包容力、言い換えるならば、「叩き上げの美学」を、再評価していただきたいものだ、と、熱く強く思う。
そうでないと、教育現場(に限ったことではないだろうけれど)は、ジリリジリリとつまらなく萎んでいくに違いない、という気がしてならない。(つづく)