ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.209

はしご酒(3軒目) その三十八

「シタテナオシ ト ヨナオシ ト ジコナオシ」

 そんなお祖父さんの大島を眺めているうちに、さらにもう一つ、あるコトが、頭の底の方からポコリと。

 それが、直し。

 仕立て直しの素晴らしさは、その「直し」が、そのもの自体に向いているところにある、ように思える。

 そう、シッカリと、そのもの自体に向いている。

 言い換えれば、「自己直し」。それ自体が磨かれ、もう一度輝く。まさに、「reborn (リボーン)」。だからこそ素晴らしい。そんな思いが、ポコリポコリ湧き起こってきたのである。

 悲しいかな、正義も平和も愛も揺らぎに揺らぐこんな今だからこそ、尚のこと、仕立て直されたお祖父さんの大島のように、まずは「自己直し」こそが大切なのではないだろうか。

 にもかかわらず、そうした自己直しとは真逆の、そのもの自体に向かわない「直し」が増殖しがちだ。

 自己に向かわない直し。

 そう、自己に向かわず他者に向かう、直し。

 しかしながら、そんな直しがホンモノの直しだとは、到底、思えない。

 なぜなら、他者に向かう直しには、実に厄介な危うさが満ち満ちているからである。そして、その危うさは、偶発的にパワーアップした怒りが歪んだ正義を掻き立てる。やがて、己の中から冷静さを消し去り、「暴力」という愚行を引き起こす。

 もちろん、この暴力、肉体的な暴力のみを指しているわけではない。ネット上などでの稚拙で理不尽な誹謗中傷なども、当然のごとくソレに該当する。

 とはいうものの、自己直しは難しい。

 納得がいかないコトが、あまりにも多すぎて、文句の一つも、二つも、三つも、ボヤいてみたくなるのもまた人情。いかんともし難い。

 そんな時は、ネットの世界なんぞに身を投じるのではなく、やはり、ココは思い切って(思い切らなくとも)ご贔屓の(ご贔屓でなくとも)その暖簾をくぐり、居酒屋ワールド限定の、居酒屋専属「世直しアナリスト」になることをお勧めする。

 そう、その場限りの、その日限りの、居酒屋専属、世直しアナリスト。是非、一度、お試しを。(つづく)