はしご酒(3軒目) その三十一
「テン カラノ サズカリモノ」②
それゆえ、いくら主張しても、訴えても、スルリスルリと天からの授かりものたちは見事なまでに消え去っていく。コレは、いかんともし難い現実であって、時として絶望的な気持ちにさえなる。
たとえば、あの、都会の森。
何十年もかけて、ようやく、殺風景な、無機質な、そんな都会の、都会に生きるピーポーたちの、憩いのオアシスとして成長した森が、理不尽に切り倒されまくっている。
そういえば、たしか、ある関係者が、「稼げるまちづくり、稼げる空間にしたい」、みたいなコトを胸を張って宣っていた。おそらく、森では「カネ(金)」にならないのだろう。だから、カネにならない都会のオアシスは、単なるお荷物。お荷物は、この際、葬り去るしかないのだ。という論理が、あの人たちの頭も中では、ナンの抵抗もなく成り立ってしまうのである。
本当なら、いかなる邪念もシガラミも捨て去って、この町の、この国の、この星の、その未来にとって必要不可欠なモノとは、いったい、ナンなのか。を、真っ当に考え抜かなければならないはずなのに、まず、そうはならない。
ナゼだろう。
ナゼ、あの人たちは、目先の旨い話しか見えなくなってしまったのだろう。
またまた、ナゾがナゾ呼ぶナゾナゾワールド。このワールドのダークさは、そんじょそこらのダークさとはワケが違うほど、深く、暗く、そして、悪臭に満ちている。
そして、やがて、あの人たちは、あの都会の森と同じように、天からの授かりものであるこの星までもを、切り倒し、葬り去ってしまうのだ、きっと。(つづく)