はしご酒(3軒目) その二十三
「アリ ト キリギリス」②
この『アリとキリギリス』、現代社会がもつ病巣の縮図のように見えなくもない。その縮図の中に、イヤイヤながらもお邪魔させてもらったような、そんな、なんとも言えない肌触りだ。その肌触りは、若い頃に、カフカの『変身』を読んだ、あの時の、あの気分に、あの感じに、非常に似ている。
このチクチクとした「不条理」感は、いったい、ナンなのだろう。
私は、家族のために、地道に、真面目に、働き続けるアリに、我々シモジモであるエラクナイ一般ピーポーを、どうしても重ねてしまう。
そう、あまりにも酷似する、アリと、一般ピーポーたち。
人生を楽しむキリギリスに憧れ、共感を抱きはする。抱きはするものの、現実は、アリの人生以外のナニモノでもない。まさに、アリそのものなのだ、という、そんな自分のリアルな姿に、否が応でも気付かされる。
にもかかわらず、働けども働けども、生活は、一向に楽にならない。それでも尚、ドコまでもドコまでも働き続ける。
そんな、ひたすら働き続けるアリを誰ができるというのか。できない。できるはずがない。むしろ、批判されるべきは、どれだけ働いても、頑張っても、楽にならない、満たされない、明日が見えない、という、そんな「アリワールド」そのものなのだ。
そう、頑張っても頑張っても満たされない、アリワールド。
そんな不条理まみれのアリワールドという迷宮の中で、私たちもまた、アリと同じように、もがき続けるのである。(つづく)