ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.185

はしご酒(3軒目) その十四

「ウツクシイ シズク」

 Zさん、泡盛ベースのカクテルを注文したかと思うと、おもむろに、ユルリとコチラに顔を向け、「美しい雫(シズク)、という言葉が、ず~っと忘れられないままなのよね~」、と。

 もちろん、なんのことやら、サッパリ。

 「ある現代彫刻家の言葉なの」

 現代彫刻家の言葉?

 「自然の中でナニかをつくる、その時に、自然の中からナニかがポタリと落ちる、そんな瞬間があるらしいのよね」

 自然の中から、ポタリ、か~。

 美しい雫とは、そういう奇跡の言葉、らしい。

 私は、瞳を輝かせながら「美しい雫」を静かに語るZさんに、この人は、いったい、どういう感性のもち主なのだろう、と、限りなく嫉妬にも似た感覚で思ったりする。

 そんなZさんが、「日本の文化は、そうした美しい雫なの」、と、宣う。

 日本の文化は美しい雫、か~。

 なるほど、なるほどな。

 美しい雫がポタリと齎(モタラ)したモノ、が、この国の文化。この国の美。この国のアイデンティティー。で、あるからこそ、この国を訪れる外国人観光客の方々もまた、ソコに魅了されるのだろう。

 そして、ソレは、いとも簡単に、一朝一夕に、そこにあるモノではない、ということだ。

 だから、だからこそ、大切にしなければならないのだ、と、いうコトを、それなりに権力も影響力もあるシモジモじゃないエライ人たちは、絶対に、忘れないでほしいと強く思う。ナゼなら、あの人たちの迷走しだいでは、そうした大切なモノが、アッという間に消えてなくなってしまいかねないからだ。

 しかしながら、私の心の奥の奥で、何者かがこう呟く。

 「酷かもしれないぜ、あの人たちにソレを望むのは」

(つづく)