ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.149

はしご酒(2軒目) その五十一

「ヘソマガリ ノ ジダイ」

 「へそ曲がりだな~」

 幼き頃。ナゼか、皆の考えや行動に納得がいかず、幾度となく細(ササ)やかなる反旗を翻したその度に、必ずと言っていいほど、そう言われたことを覚えている。

 「〇〇ちゃんは、へそ曲りだから」

 「協調性も社会性もないダメな子」というレッテルを貼るには、とても有効なこの「へそ曲がり」。なのだけれど、なんとなく妖怪の名前みたいだし、それでいて可愛さも振り撒いているし。と、いうことで、いくら言われても、それほど嫌な気はしなかった。

 そう、へそ曲がり。へそ曲がりで大いに結構、結構毛だらけ、猫、灰だらけ、なのである。

 Aくんもまた、この「へそ曲がり」チームの愛しき仲間の一人で、私と同じように気持ちよく屈折した少年時代を送っていた、と、聞く。

 そう、Aくんも、結構毛だらけ、猫、灰だらけ、で、あったわけだ。

 もちろん、その気概、未だにAくんも私も、辛うじて、どうにかこうにかもち続けている。

 ところが、今、そんな「へそ曲がり」たちよりも、むしろ、世の中のほうが、ウンと、トンでもなく怪しく屈折しつつあるようだ。真っ当な社会性など微塵も感じられないようなシモジモじゃないエライ人たちが、エラそうに、権力だけをヤタラと振り回し、そこかしこで、ゴロゴロと、ゴロゴロと、溢れ返っている。

 そう。悲しいかな、この今は、権力が、権力者が、ダークに屈折しまくったゴロゴロ状態の時代なのである。

 だから、だからこそ、私は、「いよいよ、『へそ曲がり』たちの時代がやってきたのでは」、と、かなりマジに思っているし、「この世の中の悪しき流れを食い止めることができるのは『へそ曲がり』だけではないのか」、と、かなり本気で思い始めている。

 そう。時代は、まさに、今、へそ曲がりの時代。

 懐疑的で独立独歩。

 ナンでもカンでも、まず訝(イブカ)しむ、を、信条とし、協調性なんてクソ喰らえ。己を信じて突き進め~。

 と、までは、さすがにいかないが、少なくとも己の「へそ」ぐらいは己の信念で曲げたいと、己以外の誰かによって曲げられてしまうような情けないコトだけは、絶対に、御免被(ゴメンコウム)りたいと、思ってはいる。

 ん!?

 ん~、ひょっとしたら・・・。

 こんな、理不尽に、ダークに、屈折しまくったような時代なのだ。どちらかと言えば、むしろ、曲がりまくっているのは世の中の方で、今の今まで曲がっていると思っていた愛しき「へそ曲がり」たちは、「へそ真っ直ぐ」なのかもしれないな。

 そう、へそ真っ直ぐ。

 きっと、そうだ。そうに違いない。

 ならば、できれば、これからは、是非、こう言ってあげてほしい。

 「へそ真っ直ぐだな~」

 「〇〇ちゃんは、へそ真っ直ぐだから」

(つづく)