はしご酒(2軒目) その二十一
「アシタ ノ ダイオージョー」
1970年前後に週刊少年マガジンに連載されていた『あしたのジョー』、主人公である矢吹丈のその生い立ちから、天に召されるかのようなクールなラストシーンに至るまでのその濃厚さは、そのあたりのこってり系豚骨ラーメンのソレを遥かに凌ぐ。
年のせいか、ラーメンは、あっさり醤油味、と、ほぼ決めている私にとって、『あしたのジョー』もまた、そのあたりのこってり系豚骨ラーメン同様、ちょっと胃にはドスンと重い。
しかしながら、たとえば命さえも犠牲にできる、いや、犠牲などという意識さえ微塵もない、というほどのその魂の一途さ、強靭さ、崇高さ、には、やはり畏れ入る。
「ちょっといただいてもええですか~」と、ニンマリしながら暴れん坊酒をキュッと口に含んだOくん、さらに一層怪しくニンマリしつつ、「あしたのジョーは、まさに~、あしたのダイオ~ジョ~、で、おますな~」、と。
またまたまたまた~、と条件反射のように呆れ果てる私だったのだけれど、ソコをグッとこらえて、あらためて冷静に考えてみると、たしかに、『あしたのジョー』は、正真正銘、筋金入りの、あしたの、大往生、であるのではないか、というそんな気が、ドンドンとしてくるから不思議だ。
少し視点を替えて言うとするならば、大往生の王道とは、単に、それなりの年齢に達し、痛みも苦しみもなく、穏やかに天に召されていく、というような、いわゆる「ぽっくり」的なものをいうのではなく、まさに、ソコに、荒ぶる魂の超完全燃焼あってこその大往生、ということなので、あろうな~、きっと。(つづく)