ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.114

はしご酒(2軒目) その十六

「ジャマクサイ ハ クサクナイ」

 知らないうちに、Aくんも、Oくんも、私も、Mr.利便性、デジタルに、お世話になっているのだろう。本意ではないが、そんな感じで、私たちの日常生活は、見事なまでにデジタル化しつつある。

 とはいえ、当然のことながら、ITも、ICTも、AIも、申し訳ないがナンのことやら、サッパリ、の、私なのである。

 そもそも、デジタル化ってなに?

 さすがのOくんも、両手を軽く両肩のあたりまで上げて、早々にギブアップ感満載である。そんな満載感を漂わしつつも、とりあえず、「便利さとスピード感、この2つに目一杯特化したおしたんが、デジタル化、っちゅうコトなんやろな~」、と。

 便利さとスピード感、か~。

 たしかに、そんな気はする。

 と、同時に、便利になったがために、今までなら、まず、しなければならなかったような邪魔臭いことを、する必要がなくなった、しなくなった、というコトが、結構あったりもする。

 たとえば、辞書を引く。

 たとえば、地図を見る。

 たとえば、電話番号を覚える。

 たとえば、本(紙媒体)を買う。

 たとえば、針を落としてレコードを聴く、などなど。

 「デジタル化は『脱、邪魔臭い』なのかもしれませんね」、と私。

 「ウマイこと言うやん、脱、邪魔臭い。エエとこ突いてるんとちゃうかな~。ん~、せやけど、せやけどや」、とOくん。

 「せやけど?」

 「せやけど、邪魔臭いこと、一切せえへんかったら、ボケてまうんとちゃうかな~。ん~、どやろ、どやろな」。

 ボケてまう、か~。

 便利さとスピード感。この両者と現代社会とは、もはや、切っても切れない間柄、の、ように、この私でさえ思う。思いはするが、あまりにも、安易に追い求め過ぎると、本来、人間がもっているはずの「人間力」みたいなモノが、ドンドンと失われていくような気がしてならないのもまた事実。便利が、便利ザウルスが、人間が本来もっている、あるいは育んできた「人間力」というヤツを喰らう、喰らい尽くす、という、そんなイメージだ。

 そういえば、この頃は、酒づくりにおいてさえも、コンピューター化、デジタル化、されつつあると聞く。もちろん、頭ごなしに全否定する気など毛頭ないが、どうしても、どうしてもモヤモヤとしてしまう。

 幸い、そんなデジタルな気配など微塵も感じさせないレアものの泡盛を、グビッと呑み干したOくん、「邪魔臭い、は、ホンマは、臭くない、っちゅうことやな。邪魔臭い、邪魔臭い、ばっかり言うとったら、しまいに、知らんうちに、人間のほうが、えろ~臭くなってしまう、ってコトも、大いにありうるっちゅうこっちゃ」、と、結論付ける。

 邪魔臭いは臭くない。むしろ、人間の方が、臭い、か~。

 ん~・・・、おっしゃる通り、かも。むしろ臭いのは、便利さばかりを追い求めて人間力を失いつつある人間の方かもしれないな、と、マジに、マジに思えてくる。

(つづく)