ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.98

はしご酒(2軒目) その四

ラクゴ ノ ゴー ゴー ゴー!」②

 だから、なにか「事件」をしでかしてしまった、としても、それ相応の罪の償いさえすれば、噺家やら芸人やらから足を洗うなんてことをする必要はない、はずである。もともと「箸にも棒にもかからない」という立ち位置なのだから。

 「せやな~、噺家さんと、政治家やら、警察官やら、お医者さんやら、学校の先生やら、とは、根本的にちゃうわな~」、とOくん。

 しかしながら、悲しいかな、そうは問屋が卸さない、のが、この現代社会なのである。たいていは、結構な勢いで批判され、糾弾され、復帰は限りなく絶望的になってしまったりする。芸で生きる道への復帰を断たれた彼ら、彼女らは、一体どうなってしまうのだろう。心配なんてする必要はない、のかもしれないけれど、やっぱり心配になってしまう。

 でも、なぜ、そんなことになってしまったのか、ソコのところは非常に興味深い。

 Oくんは、「噺家さんや芸人さんの世界が、もう箸にも棒にもかからない人たちの世界なんやないっちゅうことなんとちゃうんかな~」と。

 ということは、噺家や芸人の社会的地位が向上した、ということなのだな、きっと。私としては、その社会的地位(そもそも社会的地位ってなんだ!?)の向上という言い方、考え方、のほうが、遥かに上から目線で差別的な臭いがするのだけれど。

 そんなこんなで、T V でコメンテーターとして発言したりするようになってきたのかもしれない。

 しかし、落語家風情が(もしくは芸人風情が)偉そうに、などといった批判を耳にすることがある、のもまた事実。一般ピーポー(とは限らないな)の潜在意識の奥深くに、まだまだ「箸にも棒にもかからない」が、モゾモゾと生息している、からなのかもしれない。社会的地位を上げておいて馬鹿にする、という2階建て構造になっているのだろう。

 私は、私としては、箸にも棒にもかからない、破天荒で、豪放磊楽で、ちょっと危うい、そんな噺家やら芸人やらが、自由闊達に、持論を展開する、そして、周囲は「またまたまた~」と呆れ果てる、あるいは、「さすがに視点が斬新ですな~」と目からウロコ、みたいな、そんな感じが、好ましいと思うし、好きなのである。それが許されないのなら、ワザワザ彼ら、彼女らを、(「世相を斬る」的な)あの手のT V 番組に起用しなくてもいいのではないだろうか、と思ってしまうのだけれど、とりあえずの視聴率稼ぎ、なのかな~、どうだろう。

 私の「箸にも棒にもかからない噺家パワーの源」論を聞き終えたOくん、突然、「らくごのご、ならぬ、らくごのGo Go Go!やな~」と、宣いながらの会心の表情。

 Aくん直伝の、キレのある唐突感とワケのわからなさは、ホントにお見事である、としか言いようがない。

 ん~、あまりよろしくないけど、おあとがよろしいようで。(つづく)