はしご酒(2軒目) その弐
「シンジツ ハ ヒトツ カチカン ハ ムゲン」
「ワケギとイカのぬた」が好きだ。さいわい、Oくんも好物だと言う。
そう、「ぬた」。
いわゆる酢味噌和えのことであるが、あくまでも「ぬた」は「ぬた」であって、その辺りにいる酢味噌和えたちとは一線を画している、と、信じてやまない私は、酢と味噌とワケギとイカとのこのカルテットなマリアージュを、小さな奇跡とさえ思っている。と、同時に、一体全体、この世の誰が、この小さな奇跡を思い付いたのだろう、と、かなり以前から熱く、熱く思い続けている。
そう、それほど、「ワケギとイカのぬた」が好きなのである。
そんな、「ワケギとイカのぬた」愛、に、まみれにまみれた私に、なんと、Oくんは、ぬたは、やっぱり、「エシャロットとタコのぬた」に限る、と、宣う。
な、なんだよ、それ。
おもわず私は、「エ、エ、エシャロットとタ、タ、タコ~!?」、と、押さえ気味とはいえ、叫んでしまった。
私が叫んだことが意外であったのか、Oくん、ほんの少し怪訝(ケゲン)な表情を浮かべつつ、「食べたことありまんのかいな」、と、クールに返してきたのである。
食べたこと、ありまんのんかいな?
その通りだ、エシャロットとタコのぬたなんて一度も食べたことがない。食べたこともないのに、ナゼ、私は、叫んでしまったのだろう。
嫌な風が、私の中を吹き抜けていく。
すぐさまOくんは、どこかで耳にした(らしい)コトバを付け足した。
「真実は一つやけど価値観は無限や、っちゅうことと、ちゃうんかな~」
なにやら、「ぬた」が、「哲学」の様相を呈してきた。まさに、たかが(などとは微塵も思ってはいないが)「ぬた」されど「ぬた」なのである。
つまり、Oくんは、「ぬたが美味しい」ということは紛れもない真実なのだけれど、その食材は、ワケギやらエシャロットやらイカやらタコやらやらやらやら、と、無限の広がりをもっている、と、いうことを、言いたいのだろう。
ん~。
目一杯、反省の意味も込めて、私は、思う。
無意識のうちに、日常生活のウチやらソトやらのそこかしこで、コレはコウあるべき、と、いった具合に、いわゆる「観念」というヤツを、ギュギュッと小さく固定化してきたのではないだろうか。いや、ある。間違いなく、ある。
そう、固定観念。
その傾向は、とくに自分が好きなモノに顕著に現れるような気がする。「好き」が、逆に、心の門戸を閉ざしてしまう、みたいな、そんな感じだ。もちろん、好ましいことではない。などと、自問自答しながら、も、その好物の「ワケギとイカのぬた」に、ニンマリと箸を伸ばす。(つづく)