ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.85

水菓子 その三

「キョウフ ノ オヤコドン」

 (おそらく)観光で来日しているのであろうフランス語を操る外国人のカップルが、ある、ドコにでもあるような街中(マチナカ)の食堂で、カタコトの日本語ながらもハッキリと、こう言ったのである。

 「コワイネ~」

 恐怖を売り物にしているお化け屋敷風の食堂でも、恐ろしいまでの超激辛料理自慢の食堂でも、ない、ごく普通の食堂である。いったい、ナニが、そのカップルを恐怖のドン底に叩き落としてしまったのだろう。

 ナゾがナゾ呼ぶ、そのナゾの原因、ソレが、なんと、あの、この国を代表するオーソドックスな大衆メニュー、「親子丼」であったというから驚きだ。いや、むしろ、そのネーミングに、そのネーミングの由来に、と、言ったほうがいいかもしれない。

 そんな「親子丼」だが、ご承知の通り、鶏肉が「親」で玉子が「子」、からの親子丼である。この、なんてコトのないネーミングの由来が、そのカップルに、生々しい恐怖の扉を開けさせてしまったのである。

 出産直後に捌(サバ)かれ、非業の死を遂げた親鶏と、漸(ヤッ)との思いでこの世に生まれ落ちた玉子とが、燃え盛る火炎地獄の上で、みたいな、そんなトンでもないイメージを、おそらく、その「親子丼」というネーミングから抱いてしまうのだろう。無難に、「とりたま丼」とでもしておけば、こんな恐怖の扉を、そのカップルに開けさせることもなかったであろうに。

 でも、ほとんどのこの国のピーポーは、そんなところに恐怖など感じないし、残酷だとも思わない。むしろ、「ナイス、ネーミング!」、「よく考えたよね~」、「ほのぼのしてる~」、みたいな、そんな感じではないだろうか。

 この、如何ともし難いギャップ。このギャップこそが、「文化の壁」なのかもしれない。

 そう、文化の壁。

 コレが、実に厄介で強敵なのである。

 だがしかし、強敵ではあるけれど、「相互理解」という愛の力が、この壁をトロトロに溶かしてしまう、そんな日が、必ずや訪れるに違いない、と、密かにどころか相当に、期待している。

 そんな「親子丼、残酷ネーミング」問題とリンクさせて語るには、少し無理があるかもしれないけれど、あの「クジラ」問題も、あの「イルカ」問題も、その延長線上にあるような気がしてならない。

 クジラ。

 イルカ。

 文化の壁。

 相互理解。

 と、いう、愛の力。

 道理に生きる道理人であれば、きっと、大丈夫。そんな壁なんか、間違いなく、アッという間にトロトロだ。

(つづく)