水菓子 その三
「キョウフ ノ オヤコドン」
(おそらく)観光で来日しているのであろうフランス語を操る外国の方が、どこにでもあるような街中(マチナカ)の食堂で、カタコトの日本語ながらもハッキリと、「コワイネ~」と。恐怖を売り物にしているお化け屋敷風の食堂でも、恐ろしいまでの超激辛料理自慢の食堂でも、ない、ごく普通の食堂である。一体、ナニが、その外国の方を怯えさせたのだろうか。
ナゾがナゾ呼ぶ、そのナゾの原因、ソレが、なんと、あの日本を代表するオーソドックスな大衆メニュー「親子丼」であったというから驚きなのである。いや、むしろ、そのネーミングに、そのネーミングの由来に、と、言ったほうがいいかもしれない。
この「親子丼」、鶏肉を「親」、玉子を「子」としたことから、予想もしなかった妙に生々しい恐怖の扉が、開かれてしまったのである。おそらく、無難に「とりたま丼」とでもしておけば、ナンの問題もなかった、はずである。
でも、ほとんどの日本人は、そんなところに恐怖など感じないし、残酷とも思わない。むしろ、「よく考えたよな~」、「ユニ~ク!」、「ほのぼのしてる~」、という、そんな感じではないだろうか。
このギャップ、このギャップこそが「文化」の壁、なのかもしれない。「文化」の壁、コレが実に厄介で強敵なのである。だがしかし、強敵ではあるけれど、「相互理解」という愛の力が、この壁をトロトロに溶かしてしまう、そんな日が、必ずやって来るのではないだろうか、と(密かにどころか)相当に期待している。
リンクさせて語るには、かなりの距離感があるかもしれないけれど、あの「クジラ」問題も、「イルカ」問題も、この「親子丼残酷ネーミング」問題の延長線上にあるような、そんな気が、多かれ少なかれ、している。そんな気がしているだけに、そのトロトロな日の到来を、私は、心底、心待ちにしているのである。(つづく)