止め肴 その十
じっくりと時間をかけて、話し合う、理解し合う。
そうした、その、最も重要な努力を怠り、賛否が拮抗しているデリケートな問題を、強引にチカラづくで推し進めると、世論は必ず真っ二つに割れる。世論を二分するということは、市民、国民を二分するということであり、ドチラに転んでも、どちらかが必ず敗者になる。市民、国民の半分弱を敗者にしてしまうような愚かなコトを、たやすくすべきではない、と熱弁を振るうその日のAくんは、いつも以上に怒れる学校の先生であった。怒りの度合いがあるレベルを越えると、ソレなりにバカみたいに声が大きくなるので、どうしても、私はヒヤヒヤしてしまう。
真っ二つのどちら側も「立つ」というコトは、決して、ない。
一瞬は、勝者が大地にド~ンと立つ、かのように見えるけれど、長い目で見れば、それは必ず共倒れの道を歩む。紛れもない共倒れだ。だからこそ、真っ二つはダメなのだ、と、Aくんの熱弁にも一層の熱がこもる。
残念ながら
真っ二つの風は
そこかしこで吹き始めている。
イヤな風だ。
聖徳太子のあのコトバが
今ひとたび頭をよぎる。
「和をもって尊しとなす」
草葉の陰で聖徳太子が泣いている
かもしれない。
(つづく)