ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.57

止め肴 その七

「アンシン アンゼン フシゼン」

 「安心」と「安全」とをワンセットにしてしまうと、どうも不自然、どうしても違和感がある、とAくん。いつものコトながら、唐突なAくんの問題提起に困惑しながらも、丁重にその真意を尋ねてみると・・・。

 「主語が違うんじゃないか」

 主語が違う?

 「学校という生活空間において、『安心』の主語、主体、動作主は、子どもたち。で、『安全』の主語は、学校関係者たち、で、あるような気がする」、と。

 ん~。

 私も、私なりに考えてみた。

 つまり、子どもたちが安心して登校できる、生活を送れる、そんな学校を目指して、学校関係者が学校の安全確保のために尽力する。と、考えると、たしかに全てがスムーズな感じはする。にもかかわらず、Aくんが言うように、その二つをワンセットにしてしまうから、学校現場が工事現場のようになってしまう。子どもたちが中心の学校現場と、全員が大人たちの世界である工事現場とは、根本的に違うはずだ。

 すると、さらにAくん、「子どもたちの『安心』のために、大人たちが、その『安全』を、ナニがナンでも、意地でもつくり上げる。コレが全てだ。そのコレを、忘れてしまったら、きっと、一生後悔してもしきれないようなトンでもない悲劇が起こるに違いない」、と、一気に捲し立てた。

 たしかに、そうした「意地でもつくり上げる」という力強い意気込みのようなモノが、残念ながら、どうしても、あの、「シモジモじゃないエライ人たち」からは感じられないのである。

 その、ナニかトンでもないコトが起こらなければ「ワカラナイ」、と、いう、想像力の欠落が、欠如が、もたらす悲劇は、あまりにも辛く、恐ろしいほど罪深い。(つづく)