ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.56

箸休め

「アホミタイニ シャシンバカリトッテ」②

 中学3年生の夏、私は、兄とともに信州の、とある農家に泊まり込み、受験勉強に邁進していた。と言いたいところだけれど、あまりにも魅力的な山間部の農村であったので、勉強の合間を無理やりつくりまくっては、ヤレ、お姉さんたちと川遊び、ヤレ、お兄さんたちと山歩き、ヤレ、みんなで高級虫取り、などなどと、見事なまでに日々楽しんでいたのである。何十年も前の悪行であるけれど、未だに、出資者であった両親には申し訳なく思っている。

 そんなある日の夜、気分転換も必要だ、ということで、(言うまでもなく、気分転換など必要がないぐらい楽しい日々を送っていたのだが)皆で、夜の散歩に出掛けたのである。

 暗い山道をワ~ワ~燥(ハシャ)ぎながら歩いていくと、ちょっとひらけたプチ田園みたいなトコロに辿り着く。

 すると、なんとソコは、まさに、まさに奇跡の地であったのだ。

 大地には、無数の、蛍蛍蛍蛍蛍。

 夜空にも、無数の、星星星星星。

 その星たちが、漆黒の夜空に大河までつくっている。

 大地も夜空も、信じられない数の、光光光光光。

 そんな光たちに埋め尽くされた、真夏の夜の光景。で、あったわけだ。

 そのとき、はじめて、なぜ、「光景」という漢字に「光」を使っているのか、が、わかったような気までしたのである。

 あの日から随分と経つけれど、あの奇跡を越えるような奇跡に、その後、出会ってはいない。

 しかし、あまりにも時間が経ち過ぎたものだから、同時に、こういうふうにも思い始めている。

 あの時のあの奇跡の光景は、本当に、ソコに、あったのだろうか。ただ単に、私の中で、いわゆる「幻滅の錯覚」のように、ズンズンと、さらなる奇跡に変貌していっただけなのではないのか、と。

 でも、それでもいい。それでもいいから、永遠に大切にしたい、育んでいきたい、と、強く思う、そんな、私の、真夏の夜の夢のような、奇跡の思い出なのである。

 う~ん・・・、ひょっとしたら、あの夜、「写真を撮る」ということをしなかったから、こそ、こんな、こんないい塩梅の思い出として、私の中に住み着いてくれているのかもしれない。

 そう、あの夜の私は、写真を撮ろう、なんて、微塵も思わなかった。私の目で、心で、脳で、見るだけで、ナニもカもがコト足りていたのだ。

 なるほど。Aくんが宣うように、たしかに、「アホみたいに写真ばかり撮って」いる場合ではないのかもしれないな。

 私の脳ミソの中にある自慢の内蔵カメラも、なかなかどうして、結構、いい感じなのである。

(つづく)