ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.55

箸休め

「アホミタイニ シャシンバカリトッテ」①

 おっ、ミミイカの酢味噌和え!

 ミミイカ、そう、ミッキーマウスなミミイカ、そうだ、そうだった。

 滅多にソンなことはしないのだけれど、その時は、ナゼか、無性に、その写真を撮りたくなって、カシャッと。

 それほど、その、ミミイカのその容姿が、ミッキーマウスに見えたのだろう。その、カシャッと、の、その時が、そんなミミイカとの初対面であったということもあって、とても驚いたことを覚えている。

 そうそうそうそう、そして、その時、Aくんに、「アホみたいに写真ばかり撮って」、と、言われてしまったのである。

 ア、アホみたいに、か~。

 ん~、さすがに「アホ」は、少し言い過ぎじゃないかと思うけれど、たしかに、ナゼ、写真を撮るのだろう、と、いう、疑問が、私の中にないわけではない。元々インスタバエエスエヌエスも、ナンのコトやらサッパリな私なだけに、Aくんのその一言で、さらにその疑問は膨らんでいく。

 ナゼ、人は、写真を撮るのだろう。

 いったい、ナンのために、そこかしこで写真を撮るのか。

 記録?、作品?、思い出のコレクション?、第三者との繋がりを求めて?、感動を伝えたい?、共有したい?、収益に繋がるシステムでもあったりする?

 考えれば考えるほど、結局は千差万別、人それぞれの思いで撮っているのだろう、というトコロに落ち着きそうだ。

 でも、Aくんは、そんなエセ写真家たちに対して「アホみたいに」と、手厳しい。

 ソレは、ナゼか。

 そもそも彼には、「酒呑みの美学」というものがあるらしい。その美学に、どうも、「写真を撮る」という行為はそぐわないようなのである。

 酒呑みの聖地「居酒屋」と、エセ写真家たちのカシャッカシャッカシャッ。たしかに、そぐわないような気もする。が、それでもやっぱり、Aくんには申し訳ないけれど、人それぞれでいいのではないか、と思う。

 ただ、懸念めいたモノも、ないわけじゃない。

 写真とか動画とか、は、ヤヤもすると、トンでもなく自己中心的な仁義なきルール無用のエスカレートの道を辿りがち、という特性をもっているだけに、どうしても、その懸念、綺麗サッパリ拭い去ることは難しそうだ。(つづく)