ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.32

強肴 その三

「ワヲモッテトウトシトナス」 (聖徳太子: 厩戸皇子)

 そして、第3弾。

 スティーブ・ジョブズキング牧師も、たしかに正論かもしれないけれど、この国で、ソンなことを言っていたら、そこかしこでギスギスしてしまうかもしれない。という、いかにもこの国のピーポーらしい危惧を、どうしても払拭できないものだから、ある、とても認知度の高い国産の、和の名言が、ココで一気に浮上する。そう、この国には、この国独自の、この国の風土に合った考え方というモノがあるのだ。

 つまり、ナンやカンや言っても、やっぱりこの国のピーポーは、無難主義、迎合主義。「つべこべ言わずに、黙って俺についてこい、男は黙ってサッポロビール(1970頃に放映されていた三船敏郎がグビッとビールを呑み干す伝説的なTVCM)!」なのである。

 で、いよいよ、あの、聖徳太子の出番。

 そう、「和を以(モッ)て貴(トウト)しとなす」。

 揉(モ)めてイイことなどナニもない。とにかく、一人ひとりが自分の思いやら考えやらをグッと抑えて、ナニがナンでも「和」を重んじる。あの聖徳太子だからこそ、この国の平和を育んでいく上において、この国に合った平和の育み方というものがあるんだ、というコトを、すでに飛鳥時代に提唱されていたのだな~。などと、ナンとなく思っていたら、実は、全くそうではないんだ、と、聞かされて、とても驚いたことを覚えている。

 実は、聖徳太子は、誰よりも会議に重きを置いていた、という。

 様々な立場の人たちによる活発な議論が展開されてこそ、の、会議。イヤというほどシッカリと時間をかけ、丁々発止の意見のやり取りがあってこそ、の、会議。だと、とにかく、会議というモノをとても大切にしていた、らしいのである。そして、その中で決議されたことについては、皆で尊重していこう、ということであったようだ。ドコぞの国の、とりあえず回数と時間だけはソレなりに、という、そうした議論軽視の姿勢とは大きく異なるように思える。

 「和を以て貴しとなす」には、そういう聖徳太子の熱き思いが、考えが、ギュギュッと込められていた、ということなのだろう。

 トにもカクにも現状は、ほとんどのコトがトップダウンで降りてきて、会議そのものが軽視されがち、で、あるという。たしかに国会などでよく耳にする「議論を尽くす」も、残念ながら、議論を尽くしている、とは、到底思えない。

 ん~・・・。

 もう、この国の会議は、まさに風前の灯火、絶滅危惧種の仲間入り寸前なのかもしれないな。

 そんな、危うさがプンプンと臭う今日この頃であるだけに、聖徳太子のこのスーパー名言を、いま一度、肝に銘じておくことは、ナニよりも重要なコトだ、と、マジで思えてくる。(つづく)