強肴 その三
そして、第3弾。
スティーブ・ジョブズもキング牧師も、たしかに正論かもしれないけれど、この国で、ソンなことを言っていたら、そこかしこでギスギスしてしまうかもしれない。という、いかにもこの国のピーポーらしい危惧を、どうしても払拭できないものだから、ある、とても認知度の高い和の名言が、ココで一気に浮上する。そう、この国には、この国独自の、この国の風土に合った考え方というものがあるのだ。
つまり、ナンやカンや言っても、やっぱりこの国のピーポーは、無難主義、迎合主義。「つべこべ言わずに、黙って俺についてこい、男は黙ってサッポロビール(1970頃に放映されていた三船敏郎がグビッとビールを呑み干す伝説的なTVCM)!」なのである。
で、いよいよ、あの、聖徳太子の出番。
そう、「和をもって尊しとなす」。
揉(モ)めてイイことなどナニもない。とにかく、一人ひとりが自分の思いやら考えやらをグッと抑えて、ナニがナンでも「和」を重んじる。あの聖徳太子だからこそ、この国の平和を育んでいく上において、この国に合った平和の育み方というものがあるんだ、というコトを、すでに飛鳥時代に提唱されていたのだな~。などと、ナンとなく思っていたら、実は、全くそうではないんだ、と、聞かされて、とても驚いたことを覚えている。
実は、聖徳太子は、誰よりも会議に重きを置いていた、という。様々な立場の人たちによる活発な議論が展開されてこそ、会議。イヤというほどシッカリと時間をかけ、丁々発止の意見のやり取りがあってこそ、会議。と、とにかく、会議というモノをとても大切にしていた、らしいのである。そして、その中で決議されたことについては、皆で尊重していこう、ということであったようだ。
「和をもって尊しとなす」には、そういう聖徳太子の熱き思いが、考えが、ギュギュッと込められていたのである。
しかしながら、現状は、Aくんによれば、ほとんどのコトがトップダウンで降りてきて、会議そのものが軽視されがち、で、ある、という。たしかに国会などでよく耳にする「議論を尽くす」も、残念ながら、議論を尽くしている、とは、到底思えない。
ん~・・・。
もう、この国の会議は、まさに風前の灯火、絶滅危惧主の仲間入り寸前なのかもしれないな。
そんな、危うさがプンプンと臭う今日この頃であるだけに、聖徳太子のこのスーパー名言を、いま一度、肝に銘じておくことは、ナニよりも重要なコトだ、と、マジで思えてくる。(つづく)