ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.878

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と九

「タヨウセイガ リントシテ ソコニアルタメニ」①

 そんなAくんの熱唱を聴いているうちに、なんとなく、島国であるこの小国が、最も苦手とするワードの一つが「多様性」なのかもしれないな、と、思えてくる。

 では、その、最も苦手かもしれないワードである「多様性」が、凛(リン)としてソコにあるためには、いったい、ナニが必要なのだろう。その問いを、やたらとハイトーンで歌い上げて悦に入っているAくんに、ぶつけてみる。

 「その多様性が、凛としてソコにあるために、必要なモノって、ナンだと思いますか」

 「多様性、が、凛としてソコにあるために、かい」

 そう言い残して、Aくん、そのまま、恒例の沈黙タイムに入ってしまう。 

 それほど、この星において、多様性がソコに凛としてあることは、至難の業だということなのだろう。

 考えてみれば、人類が、この星に誕生して、もう気が遠くなるほどの年月が経っている、というのに、にもかかわらず人類は、人類として絶対に考えなければならない肝の部分、最重要課題を、どこまでも後ろ向きの硬直した思考ばかり、に、かまけて、ず~っと放置し続けてきたような気がする。

 哀れなり、先人たち。そして、現代を生きる、もちろん私も含めた、大人たち。一体全体、この星の、どんな未来を見てきたのか。そして、どんな未来を見ようとしているのか。

 そんなことをアレコレとタラタラ思ったりしていると、ようやく、Aくん、沈黙タイムに別れを告げて覚醒する。

 「ナニが必要か。の、その前に、ソコに凛としてあるために、ナニがあってはいけないのか」

 ナニが、あってはいけないのか?

 「ソレがソコにある限り、多様性なんて、絵に描いた餅。砂上の楼閣。ということだ」

 その、ソレとは、いったい。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.877

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と八

「メディア~ン!」

 民主主義とは多様性。そう言い切っても一向に差し支えない、とAくん。だからこそ、偏ってはいけないんだ、と、語気を強める。

 多様性?、偏ってはいけない?

 「それゆえ、いつだって問われるのだと思う」

 ん?、問われる?

 「メディアの、その姿勢が、あり方が」

 メディアの?、そのあり方?

 「それなりにメリットがあるのであろう、そんな、なんとなく無難なある一部に擦り寄って、ソコソコの視聴率を稼げればソレで充分だろ、みたいなことだけは、絶対に避けなければならない」

 メリットがあるであろう、そんな一部に擦り寄る?

 「それほど、ありとあらゆる全ての人々に対して責任がある、ということだ」

 全ての人々に責任がある、か~。

 「少なくとも、ナニかに、ダレかに、忖度(ソンタク)して、媚(コ)びて、怯(オビ)えて、歪曲、捏造、省略、消去、などという、姑息な悪魔のやり口に手を染めてはいけない」

 なるほど、おっしゃる通りだ。

 「多様性が共生できる世の中であるためにも、メディアは常に正しくなければならない、正しく伝えなければならない、ということですか」

 「そういうことだ。メディアは、真実の学びの場、で、あらねばならない」

 真実の学びの場、か~。

 「で、なければ、メディアなんて、アッと言うまにズルズルと、単なる下世話な情報ツールに成り下がり、その本来の存在意義さえも消えてなくなってしまうに違いない」

 そう吐き捨てたあと、Aくん、たしかアルフィー(THE ALFEE)であったか、その往年のヒット曲を、彼らに負けないぐらいのキーの高さで、またまた熱く、熱く熱く歌い上げる。

 メディア~ン

 メディア~ン

 メディア~ン

 ウォンチュ~ステイッミ~

 メディア~ン

 メディア~ン

 メディア~ン

 ウォンチュ~ステイッミ~

 お~、メディア~ン

 と~つぜん

 ど~こへっ

 きえったの~か~

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.876

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と七

「テストステロン!」

 「戦いに勝つことで分泌されるホルモン、テストステロン。コイツがライオンの鬣(タテガミ)を濃く黒くすることで、オスはメスにモテモテになる、と、ある番組で、オカッパ頭の5才の女の子が自慢げに宣っていたわけよ」、とAくん。

 その、オカッパ頭の5才の才女のことも気にはなるが、それ以上に、その、怪しげな名称のテストステロンのことが気になってしまう。

 「テ、テストステロン、ですか」

 「そう、テストステロン。ウルトラマンかナニかに登場する極悪宇宙人みたいだろ」

 極悪宇宙人が勝者に放つホルモンビームが、鬣(タテガミ)を濃く黒くする、か~。

 ん!?

 ということは、戦わなくなると、鬣(タテガミ)は薄く白くなる、のだろうか。

 あっ!

 だ、だから、年を取り、一線を退いたあたりから、私たちの髪は薄く白くなるわけか。

 「たとえば、たとえばですよ。私たちも引退したりしてしまうと、ライオンと同じようなことになる、ということですか」

 「モテたいのなら戦いの場から身を引くな、引退なんてトンでもない、あの世からお迎えが来るまで働け働け~、ってことなのかもな」

 恐るべし、テストステロン。

 ひょっとしたら、「モテたい」という人の心を巧みに利用して、トコトン働かせて人類を、クタクタに、ヘロヘロに、ボロボロに、してしまおうとする狡猾(コウカツ)な極悪宇宙人たちの陰謀なのかもしれない、な。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.875

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と六

「ヤマワラウ ヤマシタタル ヤマヨソオウ ヤマネムル」

 「山笑う、山滴(シタタ)る、山粧(ヨソオ)う、山眠る、んだよな~。わかるかい、この感性」

 「わかります、わかりますとも」

 おそらく、古き中国の哲人か詩人か画家たちの中から生まれたであろう感性が、表現が、古きこの国に伝わり、さらに、俳人たちによって磨かれ、会心の一撃に仕立て上げられた、のであろう。

 「僕はね、この、古くから脈々と伝わり続けてきたこの国のこの感性を、あらん限りの敬意を込めて、『和感』と呼ばせてもらっている」

 「和感?、ですか」

 「そう、和感。そして、そんな数ある和感の中の屈指のS級和感が、この表現だと思っているわけ」

 たしかに、その和感なるモノに裏打ちされた、素晴らしく美しい表現だと、私も思う。そういった奥深い表現は、世界中を見渡しても、そうあるものではない。

 山笑う。

 山滴る

 山粧う

 山眠る。

 そして、眠っていた山は、春の訪れとともに、再び、笑う。

 この感じ、もちろん、充分に、「人」にも当てはまる。

 人笑う。

 人滴る。

 人粧う。

 人眠る。

 そして、しばし眠っていた人も、きっと、必ず、再び、笑う日を、笑える日を、迎えるはずだ。

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.874

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と五

「ゼット モ ゼットン モ」

 「十把一絡(ジッパヒトカラ)げ!」

 ん?

 「先ほども話題に上(ノボ)っていたけれど、ちょっと視点を変えてみようと思う」、とAくん。

 ちょっと視点を、変えてみる?

 「個を見ずして全体を、十把一絡げにしてしまうことの罪の深さについて、熱く語らせてもらったけれど、その逆側に目を向けてみると」

 逆側に?

 「なぜ、『個』が、十把一絡げに語られてしまうのか。語られてしまう側に、いったいナニが起こっているのか」

 十把一絡げに語られてしまう「個」にナニが、とは。

 「たとえば、この頃話題のZ(ゼット)世代、Zジェネレーション」

 ゼットジェネレーション?

 「な、なんですか、ソレ」

 「メチャクチャ簡単に言わせてもらうと、生まれた時から手元にスマホがあった、世代、らしい」

 「生まれた時からスマホ、ですか」

 「そう。たかがスマホと侮ることなかれ、ということだ」

 「そういえば、スマホの生みの親みたいなオヤジさんが、そんなモノ、自分の子どもにはもたせない、家の中にも置いていない、みたいなことを、あたかも他人事のように無責任に、宣っておられたような」

 「それほどスマホには、とくに子どもたちにとって、未知なる危険性が孕(ハラ)んでいるということなんだろうな」

 未知なる危険性、か~。

 「そして、その危険性らしき兆候が、すでにジワジワとチラチラと見え始めているような気がするだけに、呑気に、Z世代はどうだこうだ、などと、評している場合じゃないだろ、と、思えてならないんだよね」

 「スマホがもたらしつつある疾病なのかもしれない、ということですか」

 「そう、疾病なのかもしれない。このZ世代、ベビーブーム世代やX(エックス)世代といった他のカテゴリー系のモノとは、あきらかにナニかが違う」

 なぜか、突然、ブワッと頭の中に現れた宇宙恐竜ゼットン

 最終回、なんと、ゼットンは、あの無敵のヒーロー、ウルトラマンに、引導を渡したのである。

 つまり、つまりだ。ゼットもゼットンも、侮るとトンでもないことになる、ということなのだろう。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.873

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と四

「センソウヲ ヤメヨウ!」

 僕が青春真っ只中であった頃、友人が、「レコードを買いに行きたい」と言うので、自転車をかっ飛ばして行ったわけよ、隣の駅にある商業施設内のレコード店に、と、50年ほど前まで遡(サカノボ)りながら語り始めた、Aくん。当時、シングル盤ではなく、LP盤を購入する、という行為そのものが、ちょっとしたセンセーショナルでエモーショナルなイベントだったんだ、と、懐かしそうに振り返る。

 「で、そのお友だちは、いったい、ナニを、購入されたのですか」

 「悩みに悩んだあげく、あるLP盤を買ったのだけれど、やっぱり、もう一方のLP盤のことが、どうしても忘れられず、店員さんにお願いして交換してもらった、という、その、曰く付きのLP盤とは」

 「そのLP盤、とは?」、と、あまりにもAくんが勿体ぶるものだから、おもわず身を乗り出しつつ、焦りぎみに問うてしまう。 

 「グランド、グランド・ファンク」

 ん?、んん?

 「グランド・ファンク・レイルロード、の、『戦争をやめよう』」

 「グランド?、ファンク?、レイルロード?、の、戦争をやめよう?、ですか。なんか、隅から隅までハードロックって、感じですよね」

 「たしか、A面の、何曲目かの♪People, Let 's Stop The War、の、その邦題が、そのままLP盤のタイトルになっているのだけれど、その曲の、その演奏の、理屈抜きのストレートさが、いかにもグランド・ファンク・レイルロード、って感じで、実に気持ち良かったわけだ」

 そうだ、きっと、そうなんだと思う。

 イロイロと、ヤヤこしいコトばかりが満載な上に、アレやコレやとつまらない理屈ばかりを捏(コ)ねくり回したりするものだから、私たちの本心も、思考も、目指すべきものも、訴えなければならないはずのものも、ナニもカも、グチャグチャッとワケがわからなくなってしまうのだ。

 「その、その理屈抜きのストレートさ、こそが、ここ一番というその時にとって、最も大切なモノのような気がします」

 するとAくん、おそらくその曲のサビの部分かナニかなのだろう、躊躇(タメラ)いなど微塵も見せることなく、思いっ切りコブシを回しながら声高らかに歌い始めたのである。

 People, Let 's Stop The War~

 People, Let 's Stop The War~ 

 People, Let 's Stop The War~

 People, Let 's Stop The War~

(つづく)

 

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.872

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と三

「ザッツ スラップソショー!」

 「strategic lawsuit against public participation !」

 わっ、英語、か~。

 「頭文字を取って、エス、エル、エー、ピー、ピー、スラップ、スラップ訴訟ね」

 あっ、それなら聞いたことがある。

 「個人が社会的組織等へモノ申したコト、に、対する戦略的な訴訟」

 んっ?

 「つまり、巨大なモノが小さきモノを『名誉毀損だ~』などと吠えまくりつつ訴える、という感じかな」

 あっ、あ~、スラップ訴訟、思い出した。 

 「そういえば、時折、耳にしますよね。圧倒的に強い立場の組織やらナンやらが、個人を、法の力を借りて封じ込めにかかる」

 「そう、封じ込めにかかる」

 「訴えられた側の個人は、さすがにそう簡単には戦えませんよね」

 「まず、戦えない。圧倒的に巨大な力をもっているモノは、戦略的にメディアも世論も都合よく巻き込んで、個人を叩く、黙らせる」

 「圧倒的に巨大な力には、そう簡単には刃向かえない、ということですか」

 「そういうことだ。金銭的にも、精神的にも、そう易々とできることじゃない」

 な、なんという恐ろしいコトだ。

 「個人にもイロイロな個人がいたりするから一概には言えないのかもしれないが、でもやっぱり、スラップ訴訟は、オキテ破りの禁じ手訴訟だと、僕は思っている」

 オキテ破りの禁じ手訴訟、か~。

 「にもかかわらず、その、禁じ手訴訟に手を染めてしまったとしよう。仮に、仮にだ、もし、起こしてしまった側が敗訴した場合、その時には、それなりの、重量級の責任を取って頂く必要がある、とも、強く思っている」

 全くもって同感である。

 「ソレはダメだろ」と、勇気を絞り出して声を上げた個人が、圧倒的に強いモノによって訴訟を起こされたのだ。仮に、その、その声が、正しかったということになれば、当然のごとく、そのままでは済まされない、済ますべきではない、澄ましてはいけない、と、この私でさえ思う。

 ザッツ、スラップソショー。

 オキテ破りの禁じ手に手を染めた限りは、起承転結のその「結」まで、覚悟も責任も失うことなくビシッとやり遂げてもらわなければ、そして、真っ当な「ケジメ」を、「落とし前」を、ビシビシッとつけてくれなければ、その、無理くり幕を上げた禁断のショーも、ショーとして完結しない。(つづく)