ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.871

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と弐

「メヲスマシテ ミミヲスマシテ ココロヲスマシテ」

 つい先日、ある短編映画の試写会にお邪魔させてもらったのだけれど、と、語り始めたAくん。

 試写会?

 「我が家から半径1㎞が主なロケ地だったりして、親近感が湧いて、おもわず」

 「お邪魔したと」

 「そう」

 「で、どうでしたか」

 「いや~良かったよ。こんな美しいトコロに住んでいたんだな~、と、思ってしまうほど美しく撮ってもらって、感謝、と同時に、あらためて、映画がもつ底力を感じることができたような気がした」

 映画がもつ、底力?

 「声、人、身体、その指先、森、小川のせせらぎ、セミの抜け殻・・・。ピーンと張り詰めたクールな静寂。の、その中で、眠っていたフォース?、パッション?。が、その静寂の小さな裂け目からジンワリと覚醒する。そういった、普段、感じられない、見えない、感じようともしない、見ようともしない、モノを、ナンとなくながらも感じさせてもらった、見させてもらった、みたいな、そんな感じだ。わかるかい、この感じ」

 フォース?、パッション?

 相変わらずのわかりにくさゆえ、さすがに100%というわけにはいかないが、その感じ、60%ぐらいなら、なぜか、どうにか、理解できそうな気がする。

 「で、その、短編映画の上映のその前に、試写会ということもあって、監督さんから短い舞台挨拶があったわけ」

 舞台挨拶?

 「その挨拶の中の、ある言葉が、この胸のこの辺りにへばり付いたままなんだ」

 ある言葉?

 「目を澄まして、耳を澄まして、心を澄まして、ご覧ください」

 目を澄まして、耳を澄まして、心を澄まして?

 「使い古されてきた言葉なのかもしれないが、その言葉を久しぶりに耳にして、目も、耳も、心も、済ますことなどできなくなってしまっていたかもな~、ってね」

 澄まして、か~。

 たしかに、溢れ返る邪念やら先入観やら好き嫌いやらのおかげで、その「澄まして」、いつの間にやら知らないうちに、Aくんと同じく私の中からも摘まみ出され、どこか遥か遠くまでポイッと投げ捨てられてしまっていた、などということも、大いにあり得るかもしれない、な。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.870

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と壱

「キョウフノ ミ」

 「恐怖の『み』、ご存知か」、とAくん。

 「きょ、恐怖の、み、ですか」、と私。

 「そう、み、だ」

 み、・・・とは、いったい。

 「イヤミ、ソネミ、ネタミ、ウラミ、ツラミ。ソイツたちの尻尾(シッポ)にへばり付いた『み』に、いいイメージなどあろうはずがない、どころか、オドロオドロしささえ感じる」、と、語気を強めて一気に宣ってみせる、Aくん。

 あ、あ~。

 「し、しかし、ソレって、無理やりオドロオドロしい系の『み』ばかりを集めて、ズラリと横一列に並べただけで、たとえば、あけみ、きよみ、さとみ、ひとみ、ひろみ。みんな、ステキな女性たちだし」、などと、よせばいいのに、酒の力も借りてモノ申してしまう、私。

 するとAくん、「たしかに、その、君のガールフレンドたちは、間違いなくステキな女性たちだとは思うけれど」、と、優しく前置きした上で、「でも、ソレらとコレらとは、ちょっと 違うんだよな~」、と。

 ココは適当に逸(ハグ)らかして、サラリとやり過ごしてしまおうとモノ申してしまったわけだけれど、いかんせん、やっぱり、どう考えても、ソレらとコレらとは少し、いや、かなり、違う。

 それにしても、凄まじいまでの超豪華なラインナップである。

 嫌み。

 嫉み。

 妬み。 

 恨み。

 辛み。

 「み」からしてみれば、トバッチリ以外のナニモノでもない、ということになるのだろうけれど、これだけズラリと並んでしまうと、さすがに、その「み」たちからオドロオドロ臭がプ~ンと漂ってくるような気がして、不思議だ。

 「できることなら、オドロオドロしいコレらを、自分の体内から一掃させたい、と、思うのだけれど、なかなかどうして、そうは問屋が卸してくれそうにないわけよ」

 なるほど、たしかにAくんが嘆くように、一般ピーポーには難しいことなのかもしれない。それほど、恐怖の「み」は、人の体内に棲みつきやすく、それゆえ、決して、侮れない、ということなのだろう。が、しかし、この国の、この星の、未来に対して大いなる責任をもつシモジモじゃないエライ人たちまでもが、同じように、そうは問屋が卸してくれそうにないわけよ、などと、言い訳がましく宣っているようでは、この国の、この星の、未来は、新たなる恐怖の「み」たちの総攻撃にまみれまくるかのように、弛(タル)み、撓(タワ)み、軋(キシ)み、怯(ヒル)み、澱(ヨド)み、もう、到底、希望に満ちた明るい光が差し込んでくることなど、期待できそうにない。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.869

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百

「ショウシャノ ショウシャニヨル ショウシャノタメノ」

 「古(イニシエ)より近代に至るまでにおいて、ひょっとしたら現代においても、マコトしやかに語られていることのそのほとんどは、勝者の勝者による勝者のための真実もどきなんじゃないか、って、思ったりするわけよ」、とAくん。

 「勝者の、勝者による、勝者のための、真実もどき、ですか」

 「そう。言い換えるなら、つまり、敗者には、真実を歴史の中に残す権利すら与えられていない、ということだ」

 敗者には、その権利がない、か~。

 なるほど。

 弱者、負け組、敗者にとっての真実が、強者、勝ち組、権力を握る勝者によって、葬り去られたり、捻(ネ)じ曲げられたり、捏(デッ)ち上げられたりする、ということか。

 たしかにその指摘、的を射ているように思えなくもない。

 「でも、なぜ、そんなことを、今、突然、思ったりしたのですか」

 するとAくん、「コレコレ」と呟きながら、カジュアルなバラエティ歴史書みたいな一冊を取り出してくる。

 「コレとコレ」

 ん?

 「コレとコレってさ~、真相は知らないよ、知らないけれど、明らかに、勝者と敗者との狭間で、露骨なまでに真実が捏じ曲げられたのでは、って、勘ぐりたくなってこないかい」

 これ、と、これ、と、見せられた2枚の絵は、歴史に興味があるとかないとかを軽く飛び越えてしまうぐらい、ほとんどの人が一度は見たことのある有名な2枚の絵であったのである。

 「源頼朝、と、義経、ですよね」

 「そう。ま、美意識は千差万別、人それぞれ。だから、一概にどうこう言うことはできないのだけれど、でも、それにしても、だ、ナニかが臭ってこないかい、そのお二人さんの描かれ方の違いから」

 再度、あらためてジックリと、その2枚の絵を見比べてみる。

 そう言われると、たしかに、忖度まみれの捏(ネツ)造の臭いが漂ってはくる、かな。

 「それゆえに、今ごろになって、この頼朝、ちょっと怪しいぞ、みたいなことになってきたりするわけ」

 「そ、そうなんですか」

 「らしい」

 「なんと・・・」

 「都合の悪い真実は、いつだって、強者によって闇から闇へ、って、ことなのかもな」

 コンな肖像画一つとってもソンなことになり得る、ということを説くAくんの、その、「勝者の勝者による勝者のための真実と捏造」理論。もちろん、現代の、この世の中にも当てはまりまくる、ということぐらいは、この私でも容易に察しがつく。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.868

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十九

「アイシュウノ マチナカビジュツカン」

 大学に通っていた頃、友人に連れられて、ある美術館を訪れたんだけどさ~、と、遥か遠い昔を懐かしむように語り始めた、Aくん。もちろん、現代のような、事前にチャチャチャチャチャッと検索して、というような時代ではなかったので、全くもってナンの前知識もないまま、の、訪問であったわけだ、と、ジンワリと静かな盛り上がりを見せるそのプロローグに続けとばかりに、Aくん、いよいよ、本格的に、その、『哀愁の街中(マチナカ)美術館物語』の幕を上げたのである。

 「たしか、最寄り駅は品川であったかと思う。その品川駅から15分ほどトボトボと歩くと、ようやくソレらしき建物が目の前に現れる。ソレは、国立やら都立やらといった巨大なモンスター美術館なのではなく、街中の、古いモダンな洋館をリユースした美術館で、その佇(タタズ)まい、ナンだか足を踏み入れる前から、随分と心地良かったんだよな」

 この時点で、すでに、私の頭の中には、なんとなくではあるけれど、きっとこんな洋館テイストの美術館なのだろうな、というイメージが出来上がっていた。

 広い、深い、緑の森。

 その緑に映える白い壁。

 余裕のある、ユッタリとしたエントランス。

 黒光りする木の床。

 階段は、絶対に螺旋(ラセン)階段。

 直線と曲線とが交錯する空間に、窓から注ぎ込まれる陽の光。

 そんな私の洋館のイメージを、キレイになぞるようにして、ユルリと、その美術館の思い出を語り続けたAくん、そのラストを、こう締めくくる。

 「そんな、お気に入りだった哀愁の美術館も、とうとう解体されてしまったらしい」

 えっ!?

 「老朽化」

 ええっ!?

 「僕が初めて訪れた日からでも、もう何十年も経っているわけだから、仕方がないっちゃ~仕方がないのだけれど、あらためて、時の流れとは『風化』なのだな、と、思わされたわけよ」

 時の流れとは、風化、か~。

 よほどの強い思いが、大きな経済力の応援も受けて、ソコにない限りは、私たちが、何気に、今、当たり前のモノとして目にしている景色は、いずれは消えてなくなる、ということなのだろう、・・・か。

 「十数年ほど前だったか、ある年の暮れ、サクッと立ち寄らせてもらった時に、やたらと広い芝生の中庭を眺めながら呑んだホットワイン、の、その温もりが、今でも忘れられないんだよね」

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.867

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十八

「ジッパヒトカラゲ ノ カテゴライズ」

 僕たちは、ナンでもカンでも一括(クク)りにカテゴライズしてしまいがち、なんだよな。そして、同時に、「個」を見ることが苦手、な、わけよ、とAくん。

 カテゴライズ?、一括り?、「個」を見ることが、苦手?

 「学校での学びなんて、そのほとんどが『カテゴライズ』絡み、ってことだ」

 学びのほとんどがカテゴライズ?

 「ほら、たとえば、美術一つとってみても、やれバロックだの、ロココだの、印象派だの、キュビズムだの、と、学んだりするだろ」

 あ~、そう言われればそうだ。

 「大切なのは、むしろ、その一つひとつが、どうなのか、一人ひとりが、その一つひとつをどう感じるか、どう受け止めるか、の、その、クールな『感性』そのもの、の、はずだろ」

 おっしゃる通り。

 「とにかく、そんな学びの成果として、妙な癖がついてしまったんじゃないか、って、どうしても思ってしまう」

 「妙な、癖、ですか」

 「そう、妙な癖。ソレが、ナンでもカンでも十把一絡(ジッパヒトカラ)げにしてしまうカテゴライズ癖だ」

 十把一絡げにしてしまう、カテゴライズ癖、か~。

 「音楽やら美術やらのカテゴライズなら、まだ、ソレはソレで会話をスムーズにするためのツールとして有効だと思うし、便利だし、それほどの罪はないと思う。しかし、その対象が『人』絡みのモノとなってくると、コトは、ちょっと、厄介にも心配にもなってくるというわけだ」

 「人」絡みのモノ?

 ・・・

 あ~、なるほど、「人」絡みのモノ、か~。

 たしかに、世の中、ナンでもカンでもカテゴライズだな、と、思うことはある。十把一絡げにして、あの国の人はこう、あの人種はこう、年寄りは、若者は、男性は、女性は、ゆとり世代は、ロスジェネ世代は、こうこうこうこうこうこう、と、上から目線で決めつけにかかる。そして、そんな「人」絡みのカテゴライズが、場合によっては、理不尽な差別に、ヘイトに、バッシングに、繋がっていく、と、したら・・・。

 考えれば考えるほど、この十把一絡げのカテゴライズ、心底、罪深く思えてくる。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.866

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十七

「スベテ ジンルイノ セイ?」

 プクプクと、プクプクと、ある思いが膨らんでくる。

 ひょっとしたら、大地震と、巨大隕石の地球激突と、極悪ウイルスと、という、この星屈指の最強disaster(災害)トリオ以外は、全て、人類のせいなのかもしれない。

 その、膨れ上がる思いを、そのままAくんにぶつけてみる。

 「権力者に限ったことではなくて、人類のせい、なのではないですか」

 「人類の、せい?」

 「考えてみてくださいよ。仮に人類が、この星に誕生していなかったとしたら」

 「僕たちが、いなかったとしたら?」

 「おそらく、今、そこかしこでブチュブチュと湧き起こっているモロモロのこの星の問題たちは、あたかも、そんなモノ、ハナからなかったモノ、で、あるかのように、綺麗サッパリ消えてなくなるのではないか、と、思えてならないのです」

 ん~。

 そう唸りつつ、Aくん、豆アジの南蛮漬けを一口。の、そのあとを、大急ぎで追い掛けるようにして、ヌルくなったしまった淡路島のプチプチをグビリとやる。

 そして、こう返してくる。

 「君の言う通り、全て、人類の『業(ゴウ)』、その業の深さ、ゆえ、ってコトなのかもな」

 「ごう?。ごう、業、業の深さ、ですか」

 「そう、業。歪んだ権力者を誕生させるのもまた人類の『業』。そうした人類のあらゆる業が、その業の深さが、結果として、この星を痛め付けている、と、僕も思うよ」

 人類の業が、その業の深さが、この星を痛め付けている、か~。

 「ただし、人類のその存在の醍醐味は、イイもワルイも、ナンやカンやも、グチャグチャッと手当たり次第に煮込んだようなトコロにある。とも、僕は思っている」

 ん?

 「もちろん、それゆえの、数多のトンでもない悲劇に見舞われ、理不尽にも、多くの罪なき弱者たちが苦しめられ、命を奪われてきたのもまた事実。それでも人類は、必ず、真っ当な愛と正義と英知とを結集して乗り越えていく。というか、その、乗り越えていこうとするプロセスこそが大事で、きっと、いつか、人類を目覚めさせ、更にグレードアップさせていくのだ、と、ナニがナンでも思いたいし、そう、信じたい」

 ナニがナンでも、そう、信じたい、か~。

 Aくんにしては、いつものAくんらしくない、違和感も弱腰感もあるモノ言いのように思える。が、それほどまでに、もう、この星は、そう思うしかない、そう信じるしかない、というトコロまできてしまっている、ということなのだろうか。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.865

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十六

「マナビ ト センノウ ト」

 僕たちってさ、一人ひとりそれぞれ、自分自身の「ものの考え方」ってのは、間違いなく、自分自身の意思でつくり上げた個別の「ものの考え方」なのであって、いかなるモノにも左右されたものじゃない。と、思いがちだし、そう思いたいところなんだけれど、ソレって本当か?、って、僕なんかは思ってしまうんだよな~、とAくん。

 いや~、いつもながら、わかりにくい。

 「つまり、つまりだ。知らず知らずのうちに、ナニか強大なモノにとって都合のいい、ような、そんな『ものの考え方』に移っていくように、洗脳されつつあるんじゃないか、って、ね」

 「思うわけですか」

 「そう。学び、だと思っていたものが、実は、ダークな洗脳、だった、みたいな、そんな感じだ」

 学び、が、洗脳、か~。

 「教育の現場が、最も注意しなければならない点である、とも思っている」

 学校の現場でも、ヤヤもすると、学びの中身に歪んだ嵐が吹き荒(スサ)ぶ、ということか。

 「ソコに、メディアやらネットなるものやらまでが根を張り始めて、更に一層、個々が、真っ当な判断をすることが難しくなってきている、ような、そんな気がしてならないんだよな」

 たしかに、油断していると、ズルズルと、ズルズルと頭の中が、心の内が、知らず知らずのうちに、ダレかにとって、ナニかにとって都合のいいように歪んでいくようなその感覚、わからないわけではない。

 そういえば、『ネット・ホラー スマホの中には悪魔がいる』などという、いかにも、このネット社会の闇みたいなホラー小説があったように記憶する。まさにその題名のように、スマホの中には、ネットの中には、現代社会に巣食う厄介なる悪魔が、ヘラヘラとほくそ笑みながら、いるのかもしれない。

 こわっ。

(つづく)

 

 

 

 

追記

 一見、正論のように見えなくもない勇ましい言葉の数々に、「たしかにそうだ、キレイごとでは済まないんだよな。理想ばかりに現(ウツツ)を抜かさないで、もっと現実を見ないと」などと、皆が皆、ジワジワと思い始めたりしているうちに、温暖化は更に進み、原発は再稼働し、農業や福祉やライフラインなどの現場は軽んじられ、弱者は切り捨てられていく。そして、アッサリと、稚拙な勢いだけで憲法は姿形を変え、悲しいかな、過ちは、破壊は、殺戮は、戦争は、繰り返されるのだろう。

 愚かなり、大人たち。

 未来ある子どもたちに、どんな姑息な言い訳をするつもりなのか。