ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.737

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と七十八

「マクロケイザイスライド!」

 だいたいからして、シモジモじゃないエライ人たちが、横文字を使い始めたら要注意、というのが、少なくとも、僕の周りのプチ有識者たちの共通の見解だ、と、ナニやら勇ましく語り始めたAくん。

 横文字、か~。

 そもそも、なぜ、横文字を使うのか。

 まさかとは思うが、ひょっとしたら、一般ピーポーには、できる限りわかりにくくしておきたい、という、腹黒い戦略?、などと、どうしても勘ぐりたくなってしまう。

 そんな懐疑心満載の私を尻目に、さらにガンガンと語り続けるAくん。

 「そんな横文字の、その屈指のスペシャルティが、『マクロ経済スライド』なわけ。しかも、横文字と縦文字とのハイブリットな渾然一体型でもあったりするものだから、ちょっとした凄みさえ感じるんだよね」

 たしかに、凄みはある。

 「で、このマクロ経済スライド、たとえば年金などの支給額を、その時その時の経済状況に合わせてスライドさせる、という、ある意味、理屈にも道理にも合った、現実味のある、フットワークも軽い、システムであり政策だ、とは思う。とは思うけれど」

 「思うけれど?」

 「ソコには、当然のごとく落とし穴が、ポッカリと口を開いている」

 「落とし穴、ですか」

 「そう、落とし穴。しかも、かなり厄介な落とし穴だ」

 おそらく、その落とし穴が、Aくんの周りのプチ有識者たちが危惧する要注意事項、ということになるのだろう。

 「その、マクロ経済スライドがもつ落とし穴とは、ようするに、計画性の放棄」

 「計画性の放棄、ですか」

 「そう。そして、多くの弱者たちは、それぞれの将来に対する大いなる不安に、駆られまくる、と、いうわけだ」

 なるほど。

 計画を立てられない、立てても意味がない、人生設計を描けない、描いても意味がない、では、将来に向けて安心などできるはずがない、と、私も思う。

 「そんな具合に都合よく、スライドなんてことができるのなら、もう、権力を握るエライ人たちには、未来を見通す力も、計画する力も、維持する力も、全く必要ない、ってことになる。違うかい」

 おっしゃる通りだ。

 未来を見通せない経済政策がマクロ経済スライドであるのなら、その未来には、自(オノ)ずと闇が覆い被(カブ)さるのが必然。そんな感じで、マクロ経済スライドは、見事なまでにスルリと、どこまでも真っ黒なマックロ経済スライドに、スライドしていくのだろうな。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.736

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と七十七

「ナラティブ!」②

 「苦労人だとか、叩き上げだとか、さらには、苦学して超高学歴だとか、というようなことなど、この際どうでもよくて、その結果、今、その人は、どうなんだ、に、尽きると思う」

 つまり、心を惑わすような物語も歴史もドラマもいらない、ということか。でも、ナニかが引っ掛かる。

 「でも、最初に述べられていたように、ナラティブなナニかがソコにある、ことは、大切なことだと思うんです。この古びた万年筆にしても、単なるモノではなくなるわけでしょ。物語は、そのモノに膨らみをもたせる」

 「なるほど、膨らみ、ね~。いい表現だ。けれど、けれどだ、むしろ、その膨らみがアダとなる、ってこともある」

 「アダとなる、ですか」

 「そう、アダとなる。つまり、その膨らみってヤツが、悪さをしでかす」

 悪さを、しでかす、とは。

 「言い方を変えるとするならば、オキテ破りの誇大広告やら歪曲広告やら捏造広告やらが、姑息なイメージアップ戦略の片棒を担ぐ、ということだ。しかも、そういった広告を得意とする広告代理店みたいなものまで暗躍し始めたりする始末。もう、世も末かもな」

 

 フ~・・・。

 

 私の口からなのか、それとも、ひょっとすると、この万年筆からなのか、はたまた、両者によるデュエットであったのか、おもわず漏れ出た溜め息は、力なく地を這って消えていく。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.735

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と七十六

「ナラティブ!」①

 ソコに「ナラティブ(narrative )」なナニかがあることが大切なんだ、とAくん。

 ナラティブ、ナラ、ティ、ブ、な、ナニか、とは、ナニ?

 あのOくんならきっと、「オナラ、で、ブ~、と、ちゃいまっせ~」、と、絶対に言うに決まっている、などと、勝手な決め付けをしておいて、バカみたいに込み上げてくる笑いを必死で堪(コラ)えようとする、私。

 「ニタニタして。バカみたいなことでも想像しているんだろ」

 「と、とんでもない!」

 やばいやばい、完全に見透かされている。

 「たとえば、ほら、ソコに、古びた万年筆があるだろ」、と、本棚らしきところのその隅に置かれたアルミ製の角皿を指差す。

 ナンてことない、ごくありふれた万年筆が、人知れず横たわっている。

 おもむろに手を伸ばし、手に取ってみる。

 この、使い古された万年筆が、ナラティブ?

 「どこにでもあるようなセーラーの万年筆なんだけれど、あの高島屋で、母親に買ってもらった、生まれて初めて手にした万年筆なわけよ」

 「まだ使えるのですか」

 「使える使える、満身創痍とはいえ、まだまだ現役」

 「昔のモノって、モノにもよるのでしょうけど、ホントに寿命が長いですよね」

 「そう、その通り。丁寧に使えば、長く使える。で、その横にあるインク瓶。それは残念ながらその時のモノじゃないんだけれど、なぜか、その時買ってくれたインクが、母親イチオシのブルーブラックという色で、それからというもの、ずっとインクはブルーブラックと決めている」

 懐かしそうに振り返るAくんの表情は、とても穏やかである。

 「この万年筆に歴史あり、ですね」

 「そうそう、それだよ、それ」

 「えっ」

 「モノが、単なるモノから、歴史やら物語やらの語り部(ベ)となる」

 なるほど、語り部、か~。おそらく、ナラティブとは、そういうことなのだろう。

 「でもね、いいことばかりじゃない」

 「えっ」

 「たとえば、人を評価なんてしたくないんだけれど、致し方なく、評価しなければならないとき、や、人に期待なんてしたくないんだけれど、致し方なく、期待しなければならないとき、に、そうした、その人に纏(マツ)わる物語によって、惑わされ、誤魔化され、判断を誤ってしまう、なんてことも、あり得るということだ」

 わっ、一気に話がヤヤこしくなってくる。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.734

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と七十五

「ハイブリット!」

 などと、いい加減なことをしていたら終(シマ)いには大逆襲の憂き目を見るかもしれないアレコレ、を、ナンとなく頭に浮かべたりしていると、Aくん、突然、唐突に、ハイブリット授業、って、どう思う?、と、問い掛けてくる。

 ハイブリット、授業?

 ドライブは嫌いではないが、クルマ好き、というほどではない私でも、辛うじて、ハイブリットカーという言葉ぐらいならどうにか知ってはいる。知ってはいるが、じゃ、なぜ、どこが、どんな具合にハイブリットなんだ、となると、残念ながら、ほとんど知らないに等しい。

 そもそも、ハイブリット、って、ナンだ。

 「どう思うもナニも、どんな授業なのか、見当すらつきません」

 「つかないか~」

 「つかないです」

 「ま、ちょっと考えてみてよ」

 「考えて、みて、よ、ですか」

 考えてみてよ、と言われても、見当すらつかないのだから、どう考えてよいのか、その取っ掛かりさえ掴めない。しかし、掴めないなりに、ココは、思い切って、「ナンにせよ、選択肢があるコトはいいことだと思います」、と、知ったふうな口を利く。

 「つかない、と、言っているわりには、イイところを突いてくるじゃないか」

 ホッとする、と同時に、少し嬉しくなる。

 「つまりだ、たとえば、従来の王道である対面式の授業を、ニーズに応える形で、オンラインでライブに提供することができれば、学習意欲はあるけれど、様々な理由で登校できない子どもたちにとって、前向きに使えるツールになり得る、と、思うんだよな~」

 あ~、なるほど、対面式とオンラインとの同時二本立て授業のことか。

 「でもね、マイナス思考の保守的なエライ人たちにしてみれば、そんなコトをしたら、みんな学校に来なくなるじゃないか、みたいなことに、なるんだろうな」

 なぜ、まず、登校できない生徒のことを考えようじゃないか、というふうに、ならないのだろう。

 「どんなこともそうなんだけれど、やる気のないエライ人たちってのは、いつだって、的外れの言い訳を、いかにも正論のように仕立て上げて、進歩的な取り組みを潰しにかかる」

 仮に、そうしたやる気のないエライ人たちが言及する問題点があったとしても、ハイブリット授業が、誰かにとっての救世主になる、ということだけは、紛れもない事実だと、思う。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.733

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と七十四

「ハイキ ハ イノチ ノ ハイキ」

 フードロス、いわゆる食材の大規模廃棄が、報じられるようになって久しい。

 心ある多くの人々の声によって、以前よりは改善されつつあるとはいえ、たとえば、さすがにソコではソレはないだろ、というようなトコロでも、信じられないぐらいの大規模なフードロスが、未だにあったりするものだから、愕然とする。

 私は、この国の食育の原点は、「いただきます、ごちそうさまでした」だと思っている。この「いただきます、ごちそうさまでした」は、もちろん、「御命いただきます、御命ごちそうさまでした」のことである。

 そう、御命、オン、イ、ノ、チ。

 こうした、食べ物を単なる「モノ」ではなく、きちんと「イノチ」と捉えるという感覚、が、この国の食育のベースにあったからこそ、この国は、古来から食べ物を大切にしてきたのだ。

 にもかかわらず、この国の、そうした宝物のような感覚を、近年、軽んじるようになってきたことによって、その食育の根幹そのものまでもが揺らぎ始めている。

 このことは、やはり、どう考えても悲劇だと思う。

 廃棄は、イノチの廃棄。

 廃棄されたモノたちの、軽んじられたイノチの大逆襲もまた、近いうちに、間違いなく、ある。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.732

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と七十三

「カツヤク カツヨウ リヨウ」

 少し前まで、権力を握るシモジモじゃないエライ人たちが、口を揃えて、「一億総活躍社会、女性も高齢者も外国人もひっくるめて、宜しくお願いしますよ~」みたいな、そんな手前勝手な調子の良いことを、いけしゃあしゃあと宣っていた、にもかかわらず、ちょっと、想定外のトンでもないことが起こったりしてしまうと、アッというまに巷には、もう明日からはいいから、などと、軽くあしらわれてしまう人たちで溢れかえってしまう、とAくん。

 一億総活躍社会、か~。

 その、わかりやすそうでいて、実は、わかりにくい言葉は、たしかに、それなりに地位を獲得していた。少なくともそう見えてはいた。しかし、多くの一般ピーポーがナンとなく疑念を抱いていたように、トンでもないことごときで、アッというまに崩れ去るモロさもまた、もち合わせていたのである。

 「僕はね、活躍と、活用と、利用とは、その根っこの部分からして、全く違うものだと思っている」

 「活躍、と、活用、と、利用、とは、ですか」

 「そう。つまり、一億総活用社会は、活躍ではなく、残念ながら、活用でもなく、悲しいかな、どこからどう見ても、利用にしか見えない、利用としか思えない、ということだ」、と、失望と憤りとが交差するかのようにな表情で語る、Aくん。

 「まさに、コマですね、コマ」

 「そうだな。コマ、と、考えたほうがわかりやすいかもしれない」

 人を人としてではなく、上手い具合に都合よく、使える、利用できる、そんなコマとして、扱う・・・とは。

 「しかし、そんな嘗(ナ)めたマネをしていたら、いつの日かきっとシッペ返しを喰らう。コマたちの大逆襲、近いうちに、間違いなく、ある!」

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.731

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と七十二

「ハンワライ ナ ハンワライアン」

 その筋の評論家も含めて、政治がらみの権力を握る者たちに、よく見られる表情の二大巨頭、って、ナンだと思う?、とAくん。

 よく見られる表情の二大巨頭、か~。

 「国会中継なんかを見ていれば、あ~なるほどね~、って、絶対に思うはず」

 絶対に思うはず、などと言われてしまうと、わかりません、とも言い辛く、必死のパッチの猛スピードで、あの人とか、あの人とか、あの人とかの顔を、思い浮かべてみようと試みる。

 ナンともいけ好かない顔が、次から次へと頭の中に現れては消えていく。

 「いけ好かない、みたいな、そんなモノじゃないですよね」

 「あ~、いけ好かない、ね~。気持ちはわからないでもないけれど、そんな、モロに感情に左右されたようなモノじゃ、ない」

 もっと客観的な表情、ということか。う~ん、思い付かないな。

 「あくまで、あくまで僕の観察によるものなんだけれど、心の中が怪しげな邪念で満ち溢れていればいるほど、人の表情は、半笑い、と、無表情、に、満ち溢れる」

 半笑い、と、無表情、か~。

 もう一度、あの人とか、あの人とか、あの人とかの顔を思い浮かべてみる。

 なるほど、合点もいくし腑にも落ちる。

 しかしながら、なるほど、とは思うけれど、とくに前者、なぜ、半笑い、などという、人を小バカにしたような表情でいられるのか、我々のような一般ピーポーには、なかなか理解し辛い。

 無理やり百歩譲って、一つの戦略的なツールとしてその「半笑い」を行使する、ことの、そのテクニカルな意義は、かなりの不本意まみれながらも、認めよう。ようするに、人を小バカにしたいのだろう。つまり、小バカにして相手を打ち負かす。

 でも、申し訳ないけれど、そんな上から目線の、人を小バカにしたようなハンワライアンたちと、酒を酌み交わそうとは全くもって微塵も思わない。(つづく)